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失われた脚 2

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 事件はすぐに起きた。後輩の部員からコーチと一人の部員が揉めていると聞いた。すぐに現場である体育倉庫に向かう俊太郎たち。コーチの叱責が外からでも聞こえてくる。他の生徒たちも注目している中、俊太郎は中に入る。

「何やってるんですか」

 蹲っている部員と彼の前に立つコーチ。何が起きているのか全くわからない状況。誰か顧問の先生を呼んだのだろうか。いや他の先生でもいい。
 コーチは蹲っている部員を無理やり立たせる。その手を離そうと俊太郎が割って入るが、コーチに飛ばされる。そして、倉庫にあった棚にぶつかって倒れる。

「速水!」

 その場にいた馬川の声が聞こえた。上から何かが落ちてくる音がするも、反応が遅れてしまった。気づいた時には意識を失っていた。棚の一番上にあった運動器具が落下し、俊太郎に直撃した。頭から血が出ている。

「速水! 速水!」

 運動器具をどけ、馬川が声をかける。俊太郎は起きない。部員の報告を受けて慌ててやって来た顧問。もう遅かった。
 病院に運ばれた俊太郎は一命を取りとめたものの危ない状態だった。
 その後、陸上部で話し合いが起きた。コーチは行き過ぎた指導だったと認め、反省の意を示すが馬川は納得していない様子だった。

「先生! 去年も言いましたよね。俺はいつかこうなると思っていたんですよ」

 顧問は頭を下げた。その場にかつての部長もいた。彼だけでなく、引退した陸上部の三年生たち全員が集まっていた。俊太郎のことを心配している。

「すみません。去年、俺が速水や馬川たちに口止めしていたんです。誤った判断でした」

 頭を下げる元部長。馬川の苛立ちは収まっていなかった。

「本当はすぐに退部しようと思ってました。だけど、俺は速水や皆のことが心配だったから部活を辞めなかったんです。結果、こうして事故が起きてしまった」

 この一件はニュースにもなった。外部コーチの行き過ぎた指導。それは明らかに体罰だった。体罰は他校でも起きており、中には自殺した生徒もいた。この頃から一時期、体罰に関係するニュースが増えた。それほど世間の注目が高かった。

 意識を取り戻した俊太郎。しかし、どこか違和感があった。右脚が思い通りに動かなかった。医者は頭部外傷により、片方の脚が麻痺していると説明した。理解できなかった。俊太郎は早く復帰して、部活に戻らなければならない。

「治るんですよね」

 治らないと困るのだ。
 医者は深刻な顔で「今まで通りは難しい」と口にした。そんなの納得できなかった。不満を口にしても、俊太郎の失われた脚は戻ってこなかった。
 病室から出る医者。

「なんでこんな目に遭わなければいけないんだよ」

 俊太郎は嘆く。もう今まで通りに動かない。思う存分走ることはできない。すべてを失われた瞬間だった。
 病室にあるテレビをつけると東京オリンピックの話題がやっていた。すぐに消す俊太郎。いつかの日に言われた先輩の言葉を思い出す。

 ー速水。お前、足速いよな。短距離の選手になれるんじゃないかー

 その言葉に俊太郎は「上には上がいる」と返した覚えがある。しかし、その自分は下の下の底辺にも立てないところまで落ちていった。陸上部でともに頑張っていた部員たちはお見舞いに来ない。
 この脚が動けば。
 気づけば俊太郎はベッドから落ちていた。寝ている場合じゃなかった。

「速水さん!」

 回診に来た看護師が俊太郎に駆け寄る。

「ダメなんだよ。俺は。ここで止まっている場合じゃないんだ」
「落ち着いてください」
「陸上が俺のすべてだったんだよ」

 俊太郎を担当する医者も駆けつけた。病室を出ようとする俊太郎を押さえる。

「速水君! 戻って」

 我に返った俊太郎はその場で泣き崩れた。
 眠れない夜。真っ暗な空をずっと眺めていた俊太郎。この先の将来を考えていた。でも、何度考えたって暗闇だった。今見ている空のように。答えは見つからなかった。
 そんな俊太郎のお見舞いに来たのはクラスメイトでも、陸上部の部員でもなく、ましては顧問の先生でもない。中学三年生の頃の担任の先生だった。

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