自分のためにヨガをする〜スピリチュアルジャーニー〜
年末年始の野菜のバイトを終えたと同時にフルタイムの仕事探しを始めて、この連休は書類選考の結果待ち。
ぐうたらしようと決め込んで昨日は掃除洗濯、今日は昼近くまで寝て午後にヨガ。
最高である。
バイト中は朝食前に軽いラジオ体操と就寝前に軽いリラックスヨガをして身体が悲鳴をあげぬよう気をつけてきた。
それでもヨガ講師が仕事だった時に比べたら身体はだいぶ変わってきている。
そんな時ほど気づきが多くて嬉しい。
午後2時。
始める前にサラスワティとガネーシャと、学びのためのチャンティングを3つ唱える。
自律神経を整えるポーズをとり、ヨガの神様にお願いします、と呟く。
ウォーミングアップをすると筋肉が硬くなっていることを実感する。懐かしい感覚だ。
ヨガを始めた頃の硬さ。
身体はいとも簡単に元に戻ろうとする。
じっくり感覚と向き合いながら身体と対話していく。感覚が前より鈍い。なるほどと確認する。ここでそれがいけないことだとか悲しいことだとかという批判はしない。それがヨガ。
現象は中立なのだ。そして私の中にはそこに批判はもう生まれない。
思考とは癖があるものなのである。
批判も癖だ。
深刻化すると病になる。牙を持つ。
でも単なる癖だ。
閑話休題
じっくりと左側からほぐす。
ひと通り左側が終わるとこれだけ脚の長さも足のサイズも変わる。
因みにウォーミングアップは、5本指ソックスを履いて行う。
久々に縮んだな。
そして右側も整える。
終わったら今日は太陽礼拝というメニューをやろうと決めていたので、始めていく。
ヨガ界隈では、大晦日に108回太陽礼拝をして煩悩を払うという変態的なイベントが昔あった。今もあるかは知らないけれど、それの影響で昔から年末年始になると無性にやりたくなる。
5セットずつやろうかな
太陽礼拝は、12のポーズを繋げて行うメニューが太陽礼拝Aがベースで、そこに他のポーズを加えていく太陽礼拝Bがある。わたしはシンプルに英雄のポーズを加えるのが好きだ。
久しぶりなので体と相談しながら進める。
2セットでも身体が伸びる伸びると言ってくる。
ここで増やすと体が悲鳴をあげるな、
2セットずつAとBをしよう。
変更して、2セットずつに変える。
太陽礼拝は太陽がもたらす命の恵みに感謝するものだ。
チベット僧の行う五体投地とも似ている。
頭上に上げる合掌した手はしっかりパーにして合わせ、太陽の形を表現する。
前屈する時はその手を伸ばしたまま下ろしていき、稲穂が実ってたわんでいる様子を表現する。
具にそのような意味が込められている。
最後に合掌した手を胸の前に下ろしながら、太陽のもたらす命の恵みに感謝が湧く。
そしてまた日が昇るように、次のセットへと繋がっている。
太陽礼拝Aを2セットやって、太陽礼拝Bに移る。
英雄のポーズBを加える。
このポーズは、わたしの感覚では弓を引いて狙いを定める戦士のような感覚になる。
英雄のポーズの瞬間に
道
動物
人
弓で狙ってきたあらゆるものが過る。
そうか、誰しもそういう歴史を魂に持っているんだ
そんなことを直感的に知り、
ヨガのポーズにはそれぞれの持つカルマを辿り、浄化していく作用もあるんだな
そう悟る。
2セットずつ太陽礼拝が終わる。
身体がじんわり温まり、今日はこれで正解、と仰向けになる。
感覚にフォーカスして寝転がるが、何かの栓が抜けたかのように思考が流れ始める。
瞑想では、
思考を止めずに、出てくるままに見つめてあげてください。
そんな文言をよく使う。
ああなるほど
とまた知る。
思考が流れていく様が俯瞰できるポイントこそ自分の軸なんだなと。
だからそういう言い方するのかぁ、と、これもまた思考だなと流す。
深呼吸をして伸びをし、あとは体が伸ばしたいというがままに寝転がったまま伸ばしていく。
太ももの付け根をあらゆる角度で伸ばす。
今日の体のリクエストだ。
存分に伸びて、ゆっくりと起きて、終わりのチャンティングを2つ唱える。
ヨガの神様に、ありがとうございました、と呟き、時計を見ると3時半。
90分の自分のためのヨガの時間。
今日の気づきは収穫だったから忘れないようにこうして忘備録をつける。
明日は何をしようかな