「好き嫌い」の感情
私は好き嫌いを安易に口に出す人があまり好きではない。
「好き嫌いを安易に口にする人」というのは少し厳しい表現かもしれませんが、他者への配慮や共感を欠いた言動が知性的ではないと感じてしまうのです。
人それぞれに好みや意見があるのは自然なことですが、それを適切に伝えるかどうかは、コミュニケーション能力や社会性が関係しています。
私がよく疑問に感じるのは、他人を傷つける可能性があるときや、場の空気に合わないとき。嫌いなものをわざわざ主張しても意味がないと考えているからかもしれせん。
特に人の好き嫌いについては〇〇みたいなやつは気に入らない、こうゆうやつは苦手くらいの抽象的で感覚的な話ならともかく、
「あいつ嫌い」「こいつ嫌い」と特定の人間について人格の全てを否定する話であれば、随分失礼な人間なのだなと思うのです。
また、好き嫌いで人への態度を変える人は、好かれてる人はなんとも思わないのでわからないかもしれないが、傍からみたら不誠実にしか見えないのだ。仕事において好き嫌いで態度を変えられてしまうというのは社会人の基本としてどうなのかという疑問を抱かざるを得ない。
一方で率直な意見交換が求められる場面では、人がなかなか言えないことを代弁してくれることがユニークに受け止められることがあります。言いたくないことを言えるというのはなぜか頼もしく見えるものですが、本人は自分の発言に責任なんてこれっぽっちもないのでいいたい放題なのが実際のところかと思う。
仕事面では「好き嫌いで経営を判断するのは計画性がない」と感じざるを得なくなる。
経営には長期的な視点やデータに基づく判断、リスク管理が求められるため、感情や個人の好みに左右されてしまうと、組織全体が影響を受けてしまいます。雇われる身としてはたまったもんじゃない。
例えば、経営者が自分の好き嫌いだけで商品ラインを決めたり、投資先を選んだりすると、市場のニーズや競合他社の動向を無視することになり、結果としてビジネスチャンスを逃したり、無駄なコストが発生したりします。
計画的な経営判断は、感情よりもデータや実績、将来の予測に基づいてほしい。経営者には市場調査や財務分析、顧客の声を参考にしながら冷静に判断してほしい!
情熱やビジョンも大切ですが、それらは戦略の一部として組み込むべきであり、経営判断そのものが感情に流されるべきではありません。「好き嫌い」で判断するのは、組織の持続可能性や成長に悪影響を及ぼします。
安易に好き嫌いを口にするのは子供っぽく、なにも考えてないのだなぁ、といろいろ残念な気持ちになり、振り回される時点でやる気が無くなってしまうのです。