『夏物語』川上未映子 感想 まとめ
まだ本を読むというよりは、本を「見る」みたいな感覚のときに、それはただ恰好をつけたかっただけなのかもしれないし、テレビに映った川上未映子さんが美しかっただけなのかもしれないが、『乳と卵』を読んだ記憶がある。
読んだ記憶があると書いておきながら、読んだ内容をさっぱり覚えていないということは、やっぱり僕はあの本を「見た」だけなのだろうと思う。
そしてこの『夏物語』という本に出会って、六百五十ページという大作を読破して、感想という感想を持てないまま、現在、感想をしたためようとしている。
そしてもう一度『乳と卵』手にして、購入して、ぱらぱらと読んでみたのだけれど、『夏物語』という作品は『乳と卵』の延長戦的なものであることを認識した瞬間、少しばかり理解不能な羞恥心のようなものが生まれた。
あらためてこの川上未映子という作家さんは、女性を描くことがことさらにうまく、美醜感覚から生まれる皮肉のような表現がグサグサと心をえぐってくる。
読者の僕は男性で「女性の心を少しでも理解しようと……」なんてスタンスで彼女の作品を読みにかかったのだけれど、そういう男こそ一番やっかいで気持ち悪いといった言葉の羅列に翻弄され、ああ自分は女の人に対してどう接して、どう考えていけばいいのか、二三日悩むくらいに読むのがつらくなった。
女性の皆がそんなことを思っているわけではないにせよ、女性が男性に対してそう思う瞬間、そう思ったことがあるタイミングというのは、生きているうちできっとあるのだろうし、むしろそんなことを思わない人はいない。
個人的には遊佐が言った「〇〇〇付き労働力」という言葉がひたすらにしんどく、そんなことを一度も思ったことがない僕ですら(否、それは本当にそうだろうかとも思わされた)頭の中をぶん殴られるようなパワーワード。
女性が美しくありたい、その要素の一つとして、「胸」があり、そこに執着する女がいて、それにメスを入れるかどうか逡巡する女がいて、そしてそれをみっともないと思いながら口も利かない娘がいて、結局彼女たちは卵まみれになる。
あるいは、女は女であるために子どもが欲しくて、それでも相手はいない、セックスはできないから人工授精、精子提供で子どもはできないだろうかとこれまた逡巡する。
このような複雑でセンシティブな問題は、人間である以上起こりうることであり、僕にパートナーがいたとして、「胸を大きくしたいから手術するね」「セックスはしたくないから人工授精にしよ」みたいなことを言われれば、僕はどう返答するのだろうか、なんてことをひたすら考えながら読み進めていった。
また、親がわからない、精子提供で生まれてきた子の立場に立ってみると、人生そのものがミステリー、永遠に開放されないストレッサー、僕は逢沢のように生きていけるのか。
ぞくぞくするくらいに気持ち悪い恩田という男のこと、驚くほどに小さかった階段とコンクリートの指の跡、コミばあ、窓、仙川さん、うつは人生詰む、排卵、生理、精子バンク、子どもが欲しいではなく「会いたい」。
たくさん思ったことはあったはずなのに、一つひとつの問題が大きすぎて、処理しきれないまま、それでも人はこのような問題を抱えながらも生きていけることを知って、僕はもう少し頑張ろうとも、やってみようとも思えたわけです。
男と女、まったく別の生き物であることを再認識しながら、僕は女の人に対してただリスペクトするだけではいけないような気がする。
では、どうすればいいのか、実際に何をどのように行動するべきなのか。
はっきりいって全然わからない、けれど、僕は考えて、手を差しのべて、あるいは一緒に考えて、そんなことをし続けていかなければならないんだろうなと、ぼやっと考えた水曜日。
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