「十人十色」(2023年)のお話②
少しお久しぶりです、志高塾です。
お待たせしました!2月に開催された「十人十色」のスピーチ第2弾をお届けします。
今回は、西宮北口校の生徒の親御さまによるお話です。
いわゆる「受験体験記」や「成功体験」にくくることのできない、血の通った人生の一部分に触れさせてもらったような気がします。
松蔭のコメントとともに、ぜひゆっくりとご覧ください。
「十人十色」のお話②
私は今回、2回目の受験生を持ったのですが、勉強に関してはまったく関わってきませんでした。なので、「こうしたよ」とか「こうしたらいいよ」というような工夫したことをお話しできない点は、最初にお伝えしておきます。
ただ、やっぱりその間落ち着くことはなく、ずっと常にどこかで「早く終わってほしいな、終わってほしいな」と、ため息はつき続けていました。でも、終わります。ずっとずっとしんどかったのですが、いつかは終わって、もうすべて過去になったなあと。すべて時間は過ぎていって、大変なこともよかったことも全部、過去になって、全部思い出になって、でも今また時間は過ぎていっていて、ちょっとしんみりとなりながら、この場に出ました。
今回受験をした次女は、6年生の夏になっても、志望校が決まりませんでした。神戸女学院はどうと聞いていたのですが、女学院の魅力については、緑豊かな環境と自由な校風、家から近いということぐらいしか私も言えませんでした。そこで松蔭先生です。5時から7時まで進学塾の授業を受けて、その後に志高塾に行っていたので、お弁当をいつも松蔭先生の部屋で食べさせてもらっていたのですが、そこで「どうして自分は女学院に惹かれていかないのか」ということも、ちょっと相談させてもらいながら、行きたいところが明確になってきたようです。6年生の間は、少し学年が上の生徒さんと一緒のコマになることも多くて、授業以外の話もさせてもらっていたようで、いつも気分転換をして帰ってきていました。
次女が通っていた進学塾では、お正月に、本番と同じ時間割で行う、受験校ごとのプレテストがあります。次女はそのプレテストで、高槻と西大和と洛南を受けることになりました。1日目の高槻は普通に帰ってきたんですけれども、西大和のテストは、解答用紙を回収する時に、自分と違う答えを、算数のよくできる友だちが書いていたという事実をちらっと見てしまったみたいで、すごくショックを受けて帰ってきました。それで、「次の日の洛南は受けない。もう私は起きません」と夜に宣言していました。洛南は、実際受験するかどうかも未定で、過去問も全然させたことがなかったので、じゃあ休んだらという感じで、そう塾に連絡しました。けれども、「切り替えを学ぶためにも受ける方がいい」と言われ、次女は逃げさせてはもらえずに、その戦いの場に臨みました。
親は何もできないなあと実感しながら、結局次女のテストの感覚は合っていて、高槻と洛南はしっかり受かっていたのですが、西大和は落ちていました。お正月はそういう結果だったのですが、次女に後から聞くと、「どうしてだめだったかが分かっているから、そんなにショックじゃなかった。大丈夫だと思った」という風に言っていました。そこから彼女も吹っ切れてきたのか、プレテストの後、1月4日ぐらいからは調子が上向きで、進学塾にずっと通っていた子たちにやっと自分も追いついてきたという感触があったそうです。
でも、結局親は本当に何もできなくて、本番に向かう時も「空気に飲まれないように頑張ってね」と、聞こえているか聞こえていないか分からないのですが、そんな言葉をかけて送り出しました。西大和の発表は16日の朝の10時に予定されていたのですが、ウェブが全然つながらず、この時が私の一番緊張した時間でした。次女は洛南の試験が終わると、疲れ切った顔で出てきました。私は早く伝えたくて、もう焦ってしまって、ビデオを撮ろうと思っていたのですが、ちょうど出てきた時にビデオを切ってしまって、もったいないことをしました。洛南の併願も無事合格をもらって、ただそれはもう「えらいなあ、すごいなあ」と、本当に他人行儀に受けとめました。これで、次女の受験は終了です。
私は何も管理しなかったので、次女は自分で全部こなしていっていて、自分のやるべきことがきちんと理解できていたのかなと思います。反抗的では全然ないんですけれども、私の言うことには従いません。丸付けのしかたがあまりにも要領が悪く見えて指摘しても、もちろん直らない。イスの上で正座しながら勉強するのはやめなさいと言っても伝わらない。毎日いらないものも持って通塾するので、整理してと言っても伝わらない。ちょっと口を出すと「私の自己肯定感を下げるな」とすごく怒られました。私が「落ちてもママのせいじゃないからね」と捨て台詞を残して撤退をしたのが、6年生の初めです。
前受けでは、岡山中学を受験しました。Sスカラーに受かったので、それを松蔭先生に一応報告させてもらったのですが、「おめでとう」とか「がんばったね」などの言葉は一切なく、「そりゃそうです。西大和に受かってもそりゃそうですとしか思えません」というふうに返ってきました。「はあ」と初めは思っていたんですけれども、その言葉は、不安にさいなまれていく私を何度となく救ってくれました。娘をちゃんと見てくれている、見続けてくれてきた先生からの言葉が本当に支えになりました。
実力と、本番で出しきる力を掛け合わせたものが結果になるということを、松蔭先生が書かれていたと思います。その力って何なんだろうと思っていましたが、やっぱり集中する力が本当に大事なんだなあと思っています。西大和と洛南のテストの後は、本当に疲れ切って帰ってきていて、あれが集中しまくって力を出しきって帰ってくる顔なのかなあと、私なんかそんなことしたことないなあと思いながら、見ていました。
中学受験はただの通過点、すべてじゃない、という言葉がありますが、私は少し違う捉え方をしています。私たち大人はもう、今から通過点がたくさんあるのを知っているし、これが本番じゃないんだよとみんな言います。でも、次女を見ていると、やっぱり、まずそこが彼女たちの戦いの場なのだと思います。大人になったら偏差値とは違う力が大事だというふうに言われていますが、1年間本当にその偏差値に支配されて、毎日勉強して、クラスの中でも灘を目指したり甲陽を目指したりする子たちと一緒にずっと戦ってきているんですね。1日学校に行って休憩して、帰ってきて勉強して、その毎日の時間はもうそれしかやっていない。受験に向けて、頑張っている。その力を出しきった時の表情を、私は本当に忘れられません。だから、私はもう、通過点だよって、そんなふうにはもう子どもには言えないなあと思っています。戦い抜いている受験生のみなさんに、もう本当に心からご苦労様と言ってあげたいです。次女に、子どもたちに、心の底から言ってあげたいなあと思っています。
ただ、現実は通過点です。それが終わった今、今後にどうつなげていってくれるか、次女にもこのあいだ聞いてみました。次女は、今自分がこうやってやっていきたいなと思うことはあるということですが、それが本当に現実にできるか、怖がっていたんですね。まだそんなに怖がる時期でもないし、今持っている目標というのはもっと変わっていくはずだし、変わるのが普通だし、変わったらいいし、成長していくんだよと。今頑張って入った学校で、次はまたもっともっと社会的な能力を身につけて、前を向いて歩いてほしいなあと、次に向かって頑張ってほしいと思います。近いものじゃなく、遠く前を見てほしいと思います。
あと一つ、私は占いに行ったんです。受験の前に。そしたら、西大和は縁がないとか、高槻は場所が悪いとか、さんざん言われて、答えが返ってくるごとに沈んで。基本占いはしないんですけど、やっぱり受験前に不安になって、なんかちょっといいこと言ってくれないかなと思って行ったんですが……絶対に行かない方がいいと思います。
最後に、次女から次の受験生たちへのアドバイスですが、テストとテストの間に答えの話は絶対にしない、友だちと答え合わせはしない、これが大事だと思う、とのことです。
松蔭のコメント
女子で、洛南に併願で合格しているので、よくできるということに疑いの余地はありません。そして、それはかなり早い段階、遅くとも5年生になるぐらいのタイミングで分かっていたことです。それゆえ、国語の成績をどう伸ばすかではなく、彼女が元来持っている好奇心に刺激を与えたり、分からないものに対して納得いくまで考えようとする姿勢をさらに深めたりすることが、我々の果たすべき役割でした。それらの点においては、多少なりとも貢献できた気がしています。
中高の6年間で、彼女がさらに「よくできる」人になっていくことを期待しています。なお、「」は、一般的な意味と区別するときに用いられます。