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「十人十色」(2023年)のお話①
こんにちは、志高塾です。
先月開催された「十人十色」では、4名の親御さまにお話をして頂きました。
どのエピソードも本当に濃密で、その子だからこそ得られる経験があるということ、その価値の大きさを、親御さまのまなざしを通して感じることができました。
今回は、豊中校の生徒の親御さまによるスピーチを再録させて頂きました。それを受けての竹内のコメントと合わせて、ぜひじっくりとご覧頂ければ幸いです。
「十人十色」のお話①
小さい頃から、息子はわりと物覚えはよいほうなのですが、頑固でへそ曲がりな性格で、できることとできないことの差が激しくて、気持ちの切り替えも悪いですし、何をするのも時間がかかるような子どもでした。
幼児教室では、新しいことを習うのが楽しそうで、勉強に向いているのかなと感じていました。それで、幼児教室卒業のタイミングで、小学校2年生の時に進学塾に入塾しました。志高塾は、苦手な国語をなんとか上げたくて、4年生の3月からお世話になりました。親としては、『コボちゃん』を早く卒業して、どんどん進んでほしいと思っていたのですが、時間をオーバーした上に、卒業するのに1年かかりました。
6年生になって『ロダンのココロ』、『きまぐれロボット』と進みながら、読解問題対策と、夏休みから算数をお願いしました。竹内先生からは、そろそろ進学塾をやめて志高塾だけに集中したほうが、正しい勉強の方法が身について、自由な時間が取れるとアドバイスを頂いていたのですが、本人はその進学塾が大好きで、絶対やめないと言っていたので、両方続けていました。
たしかにハードだけど、あともう少しだから頑張って乗りきってほしいと思っていたところ、10月のある日、事件が勃発しました。珍しく松蔭先生から直接お電話を頂いて、何かなあとドキッとしました。内容は、豊中校があるビルとおとなりのビルのすきまに、トイレットペーパーの芯とか、紙屑が投げ捨てられていて、息子に聞いたら、本人がやったと白状したとのことでした。私はもうショックで、どうしようかと思いました。息子と話しましたら、「学校が楽しくないし、でも休みたくないし、進学塾は好きだけど、受験が近づいて緊張感も出てきたし、志高塾では終わるまで帰れないし、いらいらしてやってしまった。ごめんなさい。でもこんなことですっきりしないことは分かった。後悔している。もうしない」と言っていました。
日頃から、勉強だけでなく、人に迷惑をかけないとか、約束を守るとか、常識的な行動をとることは大切だと、いつも伝えていたつもりだったので、とてもショックでした。周りの人に迷惑をかけてはいけない、自分で自分の価値を下げるようなことはしてはいけないと、もう一度話しました。翌日、息子と二人で、おとなりのビルの所有者の方にお詫びに伺って、お許しを頂きました。
事件の後、竹内先生に時間を作って頂いて、これからどうするか話をしました。進学塾の宿題やテスト直しも雑で、志高塾に来てもだらだらした態度で時間ばかりかけている。そんなにいい加減な態度なら、進学塾をやめるか授業数を減らして、志高塾で過去問対策や自習に集中してはどうかという提案をして頂きました。せっかくの提案でしたが、本人は「絶対進学塾はやめない、やめるなら志高塾をやめる」と言い出してしまいました。結局息子の希望に沿って頂いて、進学塾で解いてきた過去問を直す、ということを中心に続けさせて頂きました。
小学校が冬休みに入って、学校のストレスから解放されてからは、午前中は志高塾の授業と自習、午後は進学塾の冬期講習を受けて早めに寝るようにしました。そうすると精神的に安定してきて、本番に向けて集中していく感じがしました。この頃やっと私も、叱らなくてよくなりました。それまではいちいち注意しなくてはいけなくて、へとへとでした。だらだらと時間を使うことも少なくて、ちょっと遅刻する癖も減ってきました。それは竹内先生からも、「この調子であと5分早く来ることを続けられたら、絶対成長するよ」という話をして頂いたおかげです。
受験前日は、志高塾で国語の授業をして頂きました。竹内先生は、進学塾にも顔を出す時間を作って帰らせてくださったのですが、志高塾から家に帰ってきて、息子が「今日はもう進学塾には行かない。進学塾はもういい」と言いました。あんなに大好きだった進学塾に行かないという日が来るとは、びっくりしました。後で本人に尋ねたところ「2年生から通った進学塾は楽しかった。大好きだった。学校より、自分の居場所があった。小学生のうちしか通えないからこそ、最後の授業まで受けたかった。今は、志高塾の勉強方法のほうが、意味があると分かっている。これからは、志高塾で勉強する」とのことでした。ああ、一段階成長したなあ、子どもなりに考えていたのかなあと思いました。
六甲学院の受験当日、息子は落ち着いた様子で試験会場に入っていきました。試験が終わって戻ってきた時、「理科で失敗した。最後まで解けなかった。時間配分も失敗や。ちょっと後悔が残ってる。国語と算数は全部解けたから、その分でカバーできてるかなあ。足切り点ないしなあ。もう、しょうがないなあ」と、自分を励ますように言った後は、言葉少なでした。私は、「みんなにとっても難しかったかもしれないし、もう気にしないで次行こう」と励ましました。いつもの私なら「何やってるの」と言ってしまうところですが、結果が分かるまでの、この不安定な時間が子どもを成長させるのだろうなあ、ここは黙って見守らないとと、ぐっと我慢しました。
翌日も同じ時間に起きて、明星に行きました。明星後期受験中に、六甲の発表があったので、私が一人で確認しました。明星の試験終了後、本人に伝えたところ、「やったー!よし!」と喜び、午後の高槻には行かないと言いましたので、そこで息子の受験は終了しました。当日は大喜びではしゃいでいましたが、落ち着いてからは、「こんなに嬉しいことが、あるんやなあ」と、しみじみ言いました。その言葉を聞いて、中学校受験をしてよかったあと、私もしみじみ思いました。日頃、嬉しいことも、いやなことも、ふわふわと軽くやり過ごしてしまって、物足りなく感じていたので、やっと心に響いたんだなあと嬉しかったです。
中学受験を通じて、志望校合格だけではなく、色々なことを考えて、感じてほしいと思っていましたが、結果として息子の成長を見ることができて、親も貴重な体験ができてありがたいと思っております。色々な問題も起こりましたので、どうなることかと思いましたが、親子の関係も、少し深まったかなあと思っております。
受け売りですが、子どもには、中学受験は通過点で、これからの人生には何度も通過点があるんだよと伝えています。まずは六甲学院で、勉強だけでなく、心身ともに成長して、これからの通過点を、一つずつしっかりと進んでいける人になってほしいです。本人も、これからクラスメイトや先輩、クラブ活動を通じて、色々な経験をするのを楽しみにしています。大学受験も頑張りたいと言っています。
と、ここまではかっこよくまとめたのですが、現在はもうまた、作文に時間をかけすぎて、だらだらし始めています。粘り強さも足りません。竹内先生からも「本当の意味で目の前のことにじっくりと腰を据えて向き合えるのは、ここからが本番」と言って頂いているので、ますます鍛えて頂きたいと思っています。
竹内からのコメント
入試前日の進学塾の決起会、行かなかったという話を聞いてそれはそれは驚きました。それが正しいということではなく、その選択肢を持てるようになったという点を評価したいです。
「国語専門」という志高塾の性質上、進学塾との併用は一般的な形になります。そのため、もちろん「進学塾に行くな」ということではありません。彼の場合はやりっぱなしで済ませてしまうことが多かったので、それを解消するための一つの方法でした。六甲に合格すること自体は難しくなかったのですが、そういう自分の課題と向き合う機会がなければ、振り返った時にいわゆる「通過点」として認識できないかもしれない、と危惧していました。
だからこそ、最後の冬休みに最終的には9時よりも早く教室に来るようになったり、時間が延びても考え直しをやり切ったりという変化を経ての合格に対して、「こんなに嬉しいことはない」と彼が思えたことが、私にとっても大きな喜びでした。