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春惜しむ・桜コーヒー
5月1日のことだ。
立ち寄ったそのコーヒーショップの店頭にあったのは、桜の香りがほのかに漂うと謳われたドリップバッグコーヒー。
立夏の色が空と木々に揚々と浮かび始めている今、散り去った桜を思わせるコーヒーなんて、季節外れと言ってもいいくらい。
…… とはいえ、売れ残ってしまっているのか、ぽつりと一箱だけ棚に置かれたその桜コーヒーを置き去りにもできず、わたしは箱を手に取るとレジへと向かった。
コーヒーショップでイートインを利用するのは珍しくはないけれど、自宅用に商品を購入するのは初めてのことだった。
なぜそんな情がわたしに生まれたのかといえば、桜コーヒーの箱を見た時、「 翌なき春 」「 春惜しむ 」という季語を思い出したから。
「 翌なき春 」とは、4月の終わりのこと。
「 春惜しむ 」とは、文字通り過ぎ去ってゆく春を惜しむ気持ちだ。
これらの言葉が頭に浮かんだら、あんなに持て囃した桜をもう季節外れだからと目を逸らそうとした自分が、ひどく冷淡に思えた。
そして、そのお店で5月に桜コーヒーと出会ったのも何かのご縁、今この時期に味わってみるのも乙なものかもしれない、と考え直したのだ。
*
帰宅してから、桜チップで燻したというこのローストコーヒーのドリップバッグを、さっそくマグカップにセットする。
お湯を注いでも、それほど香りはわからない。
けれど、口に含むと、確かに桜の風味がする。
もっと細かく言えば、桜餅の葉の風味をごくごく薄くしたような香りが、口の中から鼻の奥へと抜けるように軽やかに広がってゆく。
もっとも、塩漬けの葉の味そのものではないし、当然塩気も餡のような甘みもない。
二口、三口と桜を味わい感じながら、この3月、4月を振り返った。
思えば、春というのは、他の季節と比べてかなり特別なものだ。
3月で何かが終わり何かと別れ、4月に何かが始まり何かと出会う。そして、そのまま明るい気候に背中を押されるように5月を走り抜ける。
年度の変わり目であり人生の節目であったりするわけで、一年の中でもっとも様々なステージと感情を含んだ時節だ。
この時期にスタートしたことは、当初はまだあまり不慣れでよく知らずとも、初々しさで許される。
が、日々はあっというまに過ぎ、いつまでも新鮮とか初々しいという感覚だけでは許されなくなってくる。
目まぐるしく変わる世の中の環境と人々の感情を象徴するかのように、桜もまた短い期間で、人々の節目を彩りさらに盛り立てるよう一気に活動を開始する。
春の兆しとともに、序章のように小さく愛らしい色の蕾をのぞかせ、満開というピークに向けて、木々の隅々まで行きわたるよう次々と花開いてゆく。
そして、もっと、という人の気持ちとはうらはらに、その欲を遮るように、桜は花弁をはらはらと落とし始める。
桜が散るのを止める術はない、運がよければ地に積もった桜の海に浸ることができるかもしれないけれど。
「桜まじ」(桜の時期に吹く南風のこと)で一斉に花弁が舞い上がる幻想的でドラマチックな風景は、この花の幽玄的な美しさにますます恋焦がれよと言わんばかりに、人の心にひどく焼きつく。
そうして、惹きつけるだけ惹きつけて昂らせておきながら、気づけば桜の木々は何事もなかったかのように、他の樹木と同じく若葉の色を纏い、街中の何気ない風景へと存在を潜めてしまう。
季節は歩み、陽射しは肌をじりじりと刺すようなそれになる。この陽射しを受けながら、他の木々と一緒に桜の木の葉もまた、風に揺れ、力強く煌く。
そうなると、人々の儚くも鮮烈なこの花への想いは薄れ、そのかわり、そこかしこに太陽のように明朗快活なエネルギーが急速に溢れだすのだ。
まだまだ満開、あるいは散り始めの桜をゆっくり眺めていたいのに、その景色ははからずとも日に日に姿を変えてゆく。
いつまでも浮かれたような気持ちでいることは許されず、心が追いつかないままに、次から次へと新たな日々はやってくる。
そして、葉桜から緑が生い茂った桜の木へ変貌するのに負けてはならぬと、新たな日々の中で次々と成長を促すように、人は人からあれやこれやと教え込まれる。
だから、同じ春ではあるけれど、初夏の薫りと芽吹いた眩しさを含んだ5月は、時にどこかついてゆけない気分に陥る。
もちろん、爽やかな天候は大好きだけど、はんなりとした桜の花に思いをはせて穏やかでいたいわたしを、五月はどこか追い立てる。
翌、つまり、次がない、明日が無い春。
この切羽詰まるような言葉と桜の様をコーヒーの中で重ね合わせ、行かないで、まだ行かないで、と、泣きながら何かにすがりたい気分に駆られたわたしは、コーヒーのカップの取っ手を少しだけきゅっと両手で握った。
わたしは、まだ、ここにいたい。
まだ、何も準備できていない。
……… もっと、ゆっくりさせてほしい。
もっと、この4月という時期を深く感じさせてほしい。
あの日舞い上がった桜吹雪の中に抱きしめられるように吹かれて、美しさをまだまだ感じていたいのに ……………
*
ふとコーヒーのパッケージに目をやると、「 砂糖を入れると桜の香りがより一層鮮やかに感じられます 」、と書かれている。
そうなのか、と思って、まだコーヒーが残っているカップの中に砂糖を落とし込んだ。
甘くはなった。
けれど、むしろ桜の風味が遠のいた気がした。
ふと窓の外を見れば、季節、の前に、この一日の太陽が暮れる。
午後6時。
まだ日は落ち切らず、空は明るい。
これもまた、桜の季節がより遠のいてゆくことを示している。
夏至に向かっている証しなのだから。
桜の季節にしがみつこうとするわたしを現実へ引き戻すには、砂糖は案外効果的だったのかもしれない。
去ってゆく春への狂おしいようなノスタルジーだけでは、生きてはゆけない。
進め、わたし。
次の季節とステージへ、進むしかないのだから。
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