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自分基準で生きること【今年の振り返り】
自分基準。自分の心の声を聞く。
自分で自分をしあわせに。
こんな言葉を目にし始めたのは今年からだと記憶している。
いつも自分に問いかける。
もやもやしてるなら理由はあるの?
無理をする必要はあるの?
物でも人でも、これは『わたし』が悦ぶものか、『わたし』を心地好くするものなのかと確認している。
違和感に蓋をしない。
世界を敵にまわしても、自分を守れるのは自分だけ。
大きなことから些細なことまで、そんなふうに考えるようになった。
そうしたら、心の声に山ほど蓋をしてきたことに気がついた。
特に、今のオーバー40くらいだと、間違いなく色々と古い価値観で育っている。
本当の自分の声に従って生きてこられた人もいるのだろうけど、わたしの魂はごりごりに押さえつけられねじ曲げられていた。
『本当』は心の底に沈み、『こうするしかない』『これでもいい』という諦めと妥協がわたしの世界の多くを占めた。
ただし、その中の数少ない選択肢から最善を歩いて来れたのは本当にありがたい。
今年から、ようやく解放されたように心が動き出した。
すべてのことを心のままにがらりと一新できたら最もしあわせだけど、そうは言ってもなかなかできない。
今できないものはできないし、例えばマンション工事はイヤでも半年付き合うしかなく室内の断捨離の予定が大幅に遅れてしまった。
だから、今はとにかくできる範囲のことからやってる。
自分で自分をしあわせにすることを。
*
何かの良いところを見つけられるのは大事だろうけど、それでも自分が心から納得できないなら、それはもう自分にフィットしないのだ。
『その違和感に間違いはない』とTreadsでもどなたか仰っていた。
何となく、の感覚はすごく大切。
何となく気乗りしないものは、関わらない方がよいとのサイン。
やってみて、何か違うという気持ちが拭えないなら方向転換すればいい。
めんどうになって意味なくやめる三日坊主とは違うのだから。
毎朝唱えている呪文のような言葉がある。
引き寄せ、マインドセット、脳内への書き込みみたいなもので、その中に「嫌なものとは関わらない」という言葉がある。
何かでイヤな気分になったら、この言葉を思い出す。
朝、こうなりたいと唱える言葉に反することを続けるのは、自分への裏切りでもある。
どうして、自分で言っていることを守ってあげられないの?それは自分をしあわせにすることではないよね?
そう問いかけると、何かをとりやめたり新しいことを始める勇気が出てくる。
そうして、好きなこと、やりたいこと、必要なものと、イヤなこと、やりたくないこと、必要ないものの線引きがどんどん作られているのが、今。
行きたいところに行く。
やりたいことに手をつける。
もっと見たい景色があるし、
景色が変われば世界も変わる。
自分で自分の世界を造り上げるという意味が、ようやく理解できた気がする。
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ここまで御覧くださった皆様、
貴重なお時間ありがとうございました!
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