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夏果つ(なつはつ)の風鈴
梅雨明け宣言がされたかどうかがはっきりせずとも、陽射しが短時間で肌をじりじりと攻めてくるようになった頃、津軽びいどろの風鈴を買った。
以前から、どんなものでもいいから風鈴を欲しいと思っていた。
ささやかに、そして手軽に夏の風情のひとつを味わえるのが魅力だから。
そして、風鈴の涼やかな音色は邪気を払ってくれそうだから。
ネットでたまたま出会ったその風鈴は、びいどろの小ぶりなお椀型の外身の上の部分に紺碧の夏の海を溶かし込んだようなグラデーションが広がり、下の部分は不純物をいっさい除去した氷のような透明感を抱いている。
このびいどろの傘をたたく舌も、同じ素材のびいどろで作られた細長い棒状もの。
舌の下にぶら下がる短冊は、真っ白いソフトクリームのような入道雲の色と同じ。
一目みてほぼ無意識にポチり、喜々として家にお迎えした。
さっそくベランダの物干しにぶら下げてみると、りんりんりんりんりん………と威勢よく音を響かせる。
窓を閉めても、室内の奥までよく聞こえる。
ベランダの眼下の歩道を通行する方々に、一瞬でも耳から涼を感じて安らいでいただければいいな、なんて思ったりする。
わたしの中ではセピア色の写真のような風景のイメージでしかない、昭和30年代の日本では、きっとどこの家にも軒先に風鈴がぶらさがり、そこかしこでこんな音を鳴らしていたんじゃないだろうか、と勝手なノスタルジーに想いを馳せる。
それにひきかえ、今の時代の都市部暮らしは、二言目には近隣との騒音トラブルなんかが懸念されて、風情なんて感じている心の余裕もない。
───── それにしても、あまりにもひっきりなしに響くガラスの音色。
今日はそんなにも風があるんだろうか、と気にかかった。
あまりにも絶え間なく鳴っていてはさすがに近所迷惑じゃないだろうか、と結局は都市部暮らしの悲しい性が自ずと心を占める。
あらためてベランダの外に出てみると、風鈴を元気よく叩いていたのはエアコンの室外機から出ている風・一択。
風情だのノスタルジーだのが一気に半減した。
風鈴をぶらさげる場所を変えると、程よくりん…りん…とつぶやくように鳴るにとどまった。
そうそう、これくらいでちょうどいい。
*
この風鈴をお迎えしてから、朝は誰にともなく『 おはようさん 』と思いながらベランダに風鈴を吊るし、夏の西日がカラカラに乾ききった洗濯物をしつこく照らす頃、洗濯物を取り込むついでに『 おつかれさん 』と何となく思いながら風鈴をしまう。
雨天以外はそんな毎日を送って来た。
幸い、マンションの管理組合から騒音に関する苦情は来ていない。
風鈴は今日も変わらず、涼し気な余韻を伴う響きを届けてくれる。
ただ、気がつけば、暦のうえではとうに立秋を迎え、甲子園での高校野球の熱闘も終焉を迎えつつあり、聞こえてくる蝉の声は熱い暑さを煽る大合唱ではなく、夕暮れの風に乗って遠くから響いてくるハーモニーとなる気候。
世の中には、子供達の夏休みの宿題が終わらず親御さんも手伝い大騒ぎ、みたいな話題がちらつく。
8月23日からは、暦は処暑、夏の暑さがおさまるという言葉の時期に入る。
まだまだ身体中に湿気と太陽の熱視線がまとわりつく日中、水遊びや冷えたスイカやかき氷という夏の享楽を求める心はまだまだ飽き足らない。
とはいえ、夏そのものの盛りは過ぎ、果てつつあるのだ。
夏果つ、夏が果てる、などは晩夏の季語。
果てる、という、何かが過ぎ去って引いて行く情景を思わせてどことなく寂しさ、もの哀しさが漂う。
まだまだ空の夏色は濃い。
まだまだ暑い。
今年は残暑が厳しく、そして長く続くらしい。
それでも、風はまちがいなく空きを運んでいる。
その風に揺られながら、夏をいつまでも捉えるかのように、風鈴はか細いガラスの音色を響かせ続ける。
夏果つの風鈴か、とわたしはひとりでつき、『 ああ、キミの季節はもう終わりだな 』と感じてしまった。
夏の果てを思わせる時に、まだ真夏をすがって求め、熱さを和らげるために音をたてることで自分の存在を訴えているような音が、どこか儚く、虚しく聞こえ始めてしまったから。
この週末には、最後のおつとめをはたしていただいたのちに、びいどろについてるであろう埃を柔らかな布で丹念に拭い、また来年の夏まで待ってて、と想いを込めて箱に納め、ゆっくり休んでいただこう。
仕方ないのよ、遷ろう季節にいつまでもぴったりはまる道具なんてないものよ。
そしたらもう9月はすぐそこ。
何をしようか、と一番に思いついたのはお月見団子のビジュアル。
…………食い気ばかりのわたしじゃないです、悪しからず。
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