理解と無理解を積み重ねて
西岡瑞樹は弾き出した。
ベートーヴェン『エリーゼのために』
ベートーヴェンが想い人に向けて書き下ろした曲と言われている。慣れればそんなに難しい曲じゃない。兄のピアノ教室第一回、俺は扉の先の廊下で耳を傾ける。半場盗聴だ。彼女の演奏は…とても味気ないものだった。
「うん、いいですね。楽譜を大切に演奏している。弾いてみてどうでした?」
「緊張しました」
「真面目故に、ですね。楽譜も喜んでると思います。慣れてきたらもっと演奏に我を出してもいいかもしれませんね」
「我、ですか?」
「はい、瑞樹さんが演奏するならではの『エリーゼのために』それがどんなものなのか探っていきましょうか。例えば僕なら…」
兄が演奏するエリーゼに物悲しさは微塵もない。軽快で無邪気で頗る明るい…敢えて極端な例を示しているのだろう。
「例えば、ですけどね」
「はい」
「子どもの頃の楽しい思い出を響きに乗せました。瑞樹さんは演奏するときに何を感じてますか?」
「感じる?っていうと、さっきだと物悲しい感じとか、ですかね」
「例えば、どんな?」
「えーと…」
彼女は黙ってしまった。
「大丈夫です。それを少しずつ具体的にしていきましょう。そして瑞樹さんの感性を音色に結びつけること、暫くはこの二点を大事にしてみましょうか」
二時間の指導を終え、二人は玄関に向かう。俺も見送りに声を掛けた。
「お疲れさまでした」
「あ、はい。どうも」
「どうでした、兄の初めての授業は?」
「…楽しかったです」
彼女の言葉には、何処か不可解なニュアンスがあった。言葉が内面と合致してない。嘘を吐いているのか、感情を持て余してるのか…俺はその違和感に触れず、笑顔で答える。
「それはよかったです」
この時兄は彼女の返答の真意を理解していたらしい。俺の理解を置き去りに、これから俺達兄弟と彼女との関係は続いていく。
理解と無理解を積み重ねていったら、大抵は崩壊の直前に、はじめてその危機的状況に気付くものだ。手も足も出ない、全て手遅れ、そんな時になって、はじめて。それは今回も、ご多分に漏れず。