人間の思考が安定できる基盤としてスピノザは神を愛していたのではないか…(日記 2024/9/16 月祝)
祝日。敬老の日。昨夜もまたソファで寝てしまっていた、とこの日記を書きながら思ったが、よく思い出したらベッドで起きたと思う。ただ、電気をつけたまま寝落ちし、そのままの体勢で目覚めただけなので、ちゃんと寝室で寝たという実感がないからそのように錯覚した。生活を立て直したいのに。
太ももの付け根に痛みを伴ったしこりがあり鬱陶しい。おそらく病院に行かなければならないと思うが、皮膚科?整形外科?どこへ行けばいいのかわからないし、前職と違って土日休みの平日9:00-18:00なので病院に行くタイミングがない。みんないつ病院行ってるの? あとは私は初めて行く病院を探すのがとにかく面倒くさい。
比較的タスクをこなすことができたと思う。勉強もちょっと進められた。読書も。ただ休日らしいことは全然できなかった。来週の3連休はもう少しきちっと過ごしたい。
スピノザ『短論文』から抜き書きをしている。
上の引用は、自然における運動の原因を求めれば、さらにその原因を求めなければならず、またさらにその原因を……というふうに無限に続くことを述べている箇所だが、スピノザにしてはめずらしく神を消極的に定義している。
スピノザは世界や生の根拠を問えば、人間にとっては究極=窮極、無根拠に行き当たるほかないことに気づいている。スピノザはその無根拠に居直るのではなく、現に存在することが真理であるとして、つまり人間の思考が安定できる基盤としてスピノザは神を愛していたのではないか。
読書のメモをNotionにとっているが、ただ書き散らしているだけなので、うまくリレーショナルに管理できるよう作成を工夫したい。
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