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自分史的なクリッピング史料

このイラストもいいなぁ! 自分の柱って何だろうなぁ? と考えさせてくれるから。

さて今朝は水原一平氏の判決が出た。司法取引に応じたので、検察の求刑通りの判決(禁固4年9か月)。司法取引の場合には、想定内であれば控訴しないというルールだとか。でも大谷選手への賠償金の支払いは到底無理だろうなぁ。司法というのは本人の支払能力に関係なく、その罪に対して正当な判決を下すということなれど、払えない内容の判決でも罪への償いとなるのだろうか。ちょっと自分のような凡庸とした一般人では考えが及ばない。

そして日産とホンダの離婚(例えればの話)。日産はこれまでの経緯から言っても生き残れるのだろうか?と他人事ながら思うところでもある。何せゴーンがリーダーだったあたりから、企業の歪みが取返しのつかないところまで来てしまったのではないのか!と思わざるを得ない。と言ってもあくまでよそ者の所感だから、中にいる人、いた人はどう思うのだろうか。総じて短期的視野で目先の利益を追い続けた日本企業は多いし、そのツケが色々なところで噴出しているのだろう。

今さら批評家づらするのもよくないと思いつつ。でも仕事ってもっと面白く楽しいものであって欲しいなぁ。特に今の若い現役世代には。どんな未来が待っているのかを前向きに待望できるような・・・。

さて、積読本を相変わらず少しずつ消化しているけど、昨日、「地上に星座をつくる」(石川直樹著)を読了。冒険ものというか、登山家等のエッセイ本やノンフィクションを結構好んで読む機会が多い。非日常的ではあるけど読んでいるととても夢みたいなものを感じるから。角幡唯介の本も大好き。

かつて植村直己さんが、高校の全校の催しで講演に来たことがあって、その時には冒険家や山岳家に特に興味を持っていた訳ではなかったので、印象的な何かを語ってたなぁという記憶がない。今思えばとても残念。ただ唯一覚えているのは、植村さんに講演料を支払おうとして生徒会長から聞いた話だけど、植村さんはこれを断り、駅からの帰りの切符だけ買わせてもらったというエピソード。植村さんは学生からもらう理由はないと思ったのか、それとも他に何かポリシーがあったのだろうか。その場にいた訳ではないので、あくまでそのエピソードをかじった程度だけど、とても印象的な思い出の一つ。勿論、雰囲気や好感の持てるエピソードだけで判断してはいけないのかもしれないけど、とにかくいい話だなぁと思う。

冒険家というのは一体どんな柱を持っているのだろうか? 確固たる何かを持っていて、その体験・経験を書籍化などして表現者としても活躍し、自身の柱を表明していることも多い。

2025年1月23日 朝日 折々のことば 鷲田清一 鶴見俊輔
2025年1月31日 朝日 折々のことば 鷲田清一 篠田桃紅

折々のことばのコラムは1面に入って真っ先に読む。短いコラムながら、とても趣きのあるメッセージが込められていると思う。

最初の鶴見俊輔版のこのコラムは、先ず冒頭で「真理はひとつ、これだ、と言って自分の中にあるものを示す説き方に、私はうたがいをもつ」と紹介され、鷲田さんの解説が簡略に付される。その解説では、生徒の間違いを指摘し、唯一の正答へと導こうとする教師と、別の問題への芽生えと捉え、問の別の途をともに歩もうとする教師では、鶴見俊輔は問いがいろいろと変形し、枝分かれし、決して心理を囲い込まずに、間違いをどう活かすかを考えるほうが望ましいと語ったとか。こういう思考の柱を持ってみたい、持つべきだった等自省することしきり。

次の篠田桃紅版のコラムでは、同じく冒頭で「できるはずだと思い上がるから、行き詰まるんです」とある。そして解説。いくらやってもまだ表現になっていないと思うから、行き詰まるということがないと。まるで大谷選手の思考のようだ。ゴールはまだまだ先にあると。そして「永遠にやったって、できないに決まっていること」を自分はやっているからと、篠田さんは語っていると。更に、仕事を長く続けられた理由として、人と較べたり、人に合わせたりせずに、と語ったとか。勿論組織人においては組織の目標と個人の目標が完全に一致するはずもなく、そうしたスタンスを堅持でき、自分自身で納得できていると、まだまだ途上にあるんだなぁ程度に鷹揚な気持ちになれることが大事なんだと思わせてくれる。こうした態度も大きな柱になる。

以前、自分探しというものが流行り、一方で自分探しなどないんだと揶揄する意見もあったとか。人は悩み、苦しんで何となく目に見えない完全性を求めたがるからこその議論なのかとも思っていた。そういう意味では当然完全性を求めたい気持ちはあるけど、むしろ自分自身への納得性の方が大事なんだと思っている。結局、人にできて自分にできない理由を探すよりは、自分が納得いくまで考えたのか?という方を大切にしたい。でもその納得性は完全性に近いのかもしれないと堂々巡りが頭の中を駆け巡る。凡庸な人だなぁと自己分析で終わる日々だ。


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