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私は「そう」である。
そう。
これは相槌ではない。
ソウ。
これは、私の高校時代のコートネームである。
スポーツをしていた人なら、コートネームをもっていた人もいるだろう。
私はバスケ部で、高校生のときにコートネームをもらった。
バスケ部では、入部すると本人の希望を踏まえつつ先輩たちが話し合ってコートネームをつける。
そしてそれがクラスメートからも顧問の先生からも呼ばれ、部活のみならず学校生活全体で使われていくことになる。
そのため、本名がわからない状態になることも多々。
私のソウというコートネームは、
私の「爽やかな感じがいい」というコメントから候補となり、
先輩のフィーリングで候補になった「シュン」というコートネームとの決選投票で、見事勝利した。
そして、私はソウとして高校生活を送った。
そのためか、コートネームがあったことで高校生活は特別で、そのときのことを思い出すと、なにか不思議な気分になる。
自分なんだけれど、自分でない。
もう一つの人生があるような感覚。
あの時の自分は、紛れもなく自分だった。
毎日勉強して、部活して、くだらないことで笑って。
でも自分ではなかった。
ソウだったんだ。
どれだけ勉強しても、化学の公式だけは覚えられなかった。
瞬発力をつけたくて、どれだけ走り込んでも、足は速くならなかった。
突然にご飯が喉を通らなくなったこともあった。
できなかったこともたくさんあった。悔しい思いをたくさんした。
それでも、報われたものもたくさんあった。
だから時々「ソウちゃん」と呼ばれると、あの時の苦しくて、でも楽しく充実していた、あの時の私がよみがえる。
ソウとして生きた3年間は、もう一人の私を作り出しているような気もする。
ソウは、今のわたしを作ってくれた。
私はわたし。
でもソウでもある。