道で拾った千円札の話を、遠くに暮らす母にしたら
数年前に池袋の道端で拾った千円札の顛末記を、遠く離れた田舎で一人暮らしをしている母に電話で話した。
ちなみに、事実に基づいて脚色しているので【小説】としている。
「わかる、わかる」
電話越しでも母が深くうなづいているのがわかった。
「わたしも、数年前に、道端に財布に入っていない10,000円札だけが落ちていて、それを拾ったの。それで、交番に届けて。半年後、持ち主が現れなかったから、警察署に取りに行って。毎年、寄付しているところにその1万円を足しといたわ」
「だよね~」
今度はわたしが深くうなづいた。
「拾ったお金で、自分が遊んだり、食べたり、買ったりできない」
と、母とわたしの意見は一致した。
拾ったお金は、自分のものではなく、お金を必要としている人のもの。
お金を拾った自分は、お金を必要としている人に届ける仲介者の一人にすぎない。
似たもの親子なのか。
それとも、そんな母に育てられたから、母と遠く離れて一人暮らしをしているわたしもまた、知らず知らずに母と同じ行動をとっていたのか。
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