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孫の手をさがしに行ったら、俳句が一句浮かんできた。

アレルギーなのか、暖房による室内の乾燥なのか、あるいは別の何なのかがわからないが、とにかく最近、背中が痒い。(わたしにとって)大事なことなのでもう一度いう。

背中がかゆい!

のだ。というわけで、わたしは部屋の中で背中を掻くことを試みた。

(か、かたい⁉ 固い!何これ⁉ か・た・い!バッキバキ!)

わたしの腕のつけ根あたりの骨や筋肉は、わたしの記憶が知る10代の頃の柔軟性に反して、ガッチガチに固くなっていた。

(えっ、うそ⁉ 私、こんなに固かったっけ⁉)

わたしの体がわたしに嘘をつくわけもなく、その晩、かゆみの場所をピンポイントで掻くことができなかった私は、かゆみのあまりなかなか寝つけず、翌日、

孫の手を買いに行く旅に出る

のである。“旅”とは大袈裟なと思うかもしれないが、それは本人にも予想だにしなかったことに向かうからである。

まずは、よく行くスーパーやコンビニの日用品雑貨コーナーに行ってみたが、見当たらない。

あっ、ここで、申し遅れましたが、“孫の手”を知らない人のために、孫の手の説明をしたいと思います。

だれですか? 先ほどから“孫の手”を“ソン(さん/氏)の手”と読んでいたのは!

確かに、ソン(さん/氏)の手ならば、一生、仕事やお金に困らない感じがして、ご利益がありそうですね!

でも、残念ながら(?)、“孫の手”は“まごのて”と読みます。

ええ、親の子どもの子どもが孫(まご)です。あれです。はい。ひねりなんてありません。シンプルです。

話は戻りまして、材質はですね、竹で出来ていて、背中を掻くほうが小さな手みたいになっていて、それが、まるで孫(ソン)の手じゃなくて、孫(まご)の手みたいだからです。

ちなみに、掻く側と反対側、つまり、持ち手の先端にはゴルフボールがついています。

これは、何も孫(ソン)さん(氏)とゴルフの接待をしたときに、池ポチャしたときのための予備のボールではなくて、今度は孫(まご)の手の方を持ち手にかえて、このゴルフボールでsoft(ソフト)に肩の土手(bank)を叩くんですね。肩こり持ちにはたいそう気持ちいいです。

スーパーにもコンビニにも売られていなかったので、わたしは電車に乗りまして、大きめなデパートに行ったんですよ。でも、孫の手って、どこに売られているのか皆目検討もつかない。

日用品コーナーをグルッと見てみましたが、見つけることができなかったので、ええ、まさかの、あれですよ。この話の流れで皆さんが期待しているスマホ売り場、しかも、ソフ⚫バンクを覗いたわけですが、ええ、ええ、もちろんありませんでしたとも(孫(ソン)さん、是非ともノベルティで作ってくれないかな。作ってくれたら、今なら絶対ソ⚫トバンクに乗り換えるのに)。

思いきって、インフォメーションコーナーで暇そうにしている女性スタッフに聞いたら、

「申し訳ございませんが、扱っておりません。」

との回答が! ええ⁉ そうなの⁉ 今、孫の手って売られていないの⁉ 背中がかゆくなったとき、みんなどうしているの?

「ねえ、ねえ、お姉さんは、背中がかゆくなったとき、いつもどうしてるの? なになに⁉ 『この後行くヨガレッスンで鍛えているから、わたしは大丈夫です』って⁉」

と聞けるわけもなく、わたしは途方にくれてしまったわけですね。ペーパードライバーのわたしには、郊外の大型ショッピングセンターには簡単に行くことはできず、かと行って山の手線沿いにあるおしゃれな雑貨店に入れるような服装やメイクもしていないのですよ。

また、大きな病院内のコンビニ店に孫の手が売られているという噂も思い出したのですが、コロナの第3波の時期に、患者でもない者が、孫の手のためだけに入るのは、迷惑になるんじゃないかとためらわれたわけです。

すると、デパートから駅に向かうわずかな距離をトボトボ歩き、ふと見上げたカンバンにはまたしてもソフト⚫ンク!……ではなく、その横にある100円SHOPのカンバンが目に入ったのである。

ダメで元々、100円SHOPが入る雑居ビルの5階に足を踏み入れてみれば、そこは、1フロアーが異世界ならぬ、100円雑貨のワンダーランド!

しばし、孫の手を忘れて、あれもこれもと雑貨をカゴに入れていたら、室内の暖房による乾燥なのか、忘れていたアレがムズムズ。

(そうだ!わたしは孫の手を買いに来たんだ!)

と思い出し、孫の手を捜すことに。しかし、どうしても見つけることができずにいると、背中のアレはドンドン幅をきかせ始める。

仕方なしに、棚出しで忙しそうな店員さんをつかまえて、孫の手の在りかを聞いてみれば、間髪いれずに

「こちらです。」

と早歩き。広大な100円SHOPで働く店員さんのいつものこういう態度に感心しつつ、着いて行ってみると、出てきた孫の手は、総プラスチック製!

なるほど、心の中で「竹だ!竹だ!」と思っていたからどおりで見つけられぬわけだ。今の孫の手はプラスチックなのねと、時代の変化を素直に受け入れつつ、早速購入。帰る道すがら、

(これでもう、背中がかゆくて寝つけない夜とは、さようなら。)

とホクホク顔で歩いていると、ふと、

(田舎に一人で住んでいる母は、こんなときどうしているんだっけ?)

と考えてしまった。

(竹製の孫の手があった記憶はないのだけど……?)

しばし記憶をたぐって、思わず、

「あっ!」

と声を出してしまった。母にはわたしの姉という子どもがいて、さらに、わたしの姉の子どもという孫(まご)が近くに住んでいるのだ。

背中がかゆければ、子ども(わたしの姉)にも孫(まご)にも掻いてもらえる。

先ほどまで、念願の孫の手を買ってホクホクしていたわたしは、冷たい秋の風に吹かれて、

孫の手を買って帰るは枯れ一葉(ひとは)

とあまり上手くない俳句を詠んでみるのだった。

さむっ!

これは、フィクションです。

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椎良麻喜|物書き(グルテンフリー/小説/エッセイ/写真)
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