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12月の凧揚げに、未来を想う|note振り返り|育児日記

あけましておめでとうございます。
年女のしいもです。
蛇オンナっていうのも、今になるとなんとなく気にいっています。
改めましてよろしくお願いします🐍


2024年。note。出会いと気づき。

2024年の4月。
数日後の仕事復帰を目前に控える中で、慣らし保育で手を離れた三男。

──なにかに飛び込むのに、もうこんなチャンスないかもしれない。

私は作るだけ作って眠らせていたnoteのアカウントを開く。

その日から始まった、私のnote生活。
たくさんの出会いがあり、刺激をうけ、思い出す。

「私。書くことが好きだったな」

そうして書きながら、あれもこれも書きたいと思うがままに書き続けてきた。
私のnoteの中心にあるのは、いつだって家族だ。

それは
「家族について語りたい」
だったりもするし
「不登校の娘について書きながら『ほら、きっと大丈夫』と、私は私を励ましたい」という気持ちでもある。
「発達障がいでも、娘はこんなにもやさしくて愛しいんだよ」
と伝えたい気持ちもある。
「双子のおばかでかわいいやり取りをいつか聞かせたい」
と思い、
「今しかない三男の赤ちゃんらしさをとどめておきたい」
と急いでしたためたりもする。


世の中の家族にはいろんなカタチがある。
その中で私は、恵まれているのだということも常々実感している。
しかしこの世の中で子を持つことの不安は、いつでも私の心の中にある。
これまで感じてきた
「命」のことだったり
「死」に近しい経験。
それらは私の心をしっかりと監視していて、「常に警戒しろ!」と叫ぶ。
「いつ失うかわかったもんじゃないぞ!」と。
常に警戒している結果、私は、疲れていたんだろう。
言葉を口からではなく、字にのせて落としていく日々の中で。私は心の中の燃え尽きた魂のかけらたちに気づく。
自分の中のいろんなものを燃やしながら、私たちは、生きている。生かしている。その事実に、はたと気づいたのである。



ある意味、私の子たちは「普通」じゃない。
でも、「普通」とはいったい、なんだろう?
きっと長女が今も学校に通っていたら「普通」の子だと思われていたのかもしれない。
私が次女を療育に連れていくと決めなかったら、次女も。
「ぜんぜん、『普通』の子に見えるけどね!」なんて、言われたりするくらいだから、きっとそうだろう。
悪気ない言葉だってもちろんわかってる。でも、あとから素朴な疑問がわいてくる。


「ぜんぜん普通に見えるよ」っていったい、なんなのか。



「ぜんぜん普通」だったら次女は、癇癪も起こさないし、空気を読まない発言をして姉を怒らせないし、衝動的な大声も出したりしないってことだろうか。

でもさ。もうそんなのは、次女じゃない。
普通じゃなくていい。


彼女は彼女だけのもの。
私も私だけのもの。
夫も大好きだけど、夫は、夫だけのもの。
でも、道はいっしょに歩いていたい。そう望む。


一辺倒にまわりをそのままに見つめるだけではなくて。
景色は奥の奥まで見つめて。
心は何度でも重ね合わせて。
気持ちはときに、ちゃんと口に出して。
好きなものは「好き」と言えるようになって。
そうして、物事をさまざまな角度から見渡していくような。
そんな人間になりたいし、そんな人間になれるように、子どもたちと供に成長していきたい。
成長「させる」わけじゃない。
もちろん、子を大人にする責任は負っているけれど。
私の人生は、子どもたちに生かされている。活かされている。
そう感じるから。



そんな想いを新たにした、2024年でした。
ここで気持ちを落としていくと、必ずそれを誰かが大切そうにひろってくれる。中には、自分の心に大切に詰め込んでくれることもある。
なんてありがたい環境なんだろうと思う。
出会ってくださり。ありがとうございます。



年末旅行にて、空を見上げる


12月の凧揚げは晴天なり。


次女は、凧をあげるのが昔から上手。
風をつかみ、その手を振り上げて。
強く強く成長していきますように。
そう願って、私も彼女も空を見上げた。


まつぼっくり探し。
なるべく綺麗なやつ!との姉の指示に従う弟。

特別な場所に行きたいわけじゃなくて。
大きな公園で遊んで。まつぼっくりをひろって。
長女の希望する温泉施設があるホテルで夜はゆっくりする。
それだけの。家族だけの旅。

そして始まる、女子VS男子ドッジボール大会
ホテルの景色を、サンタさんのプレゼントで撮影する姉妹

「楽しかった」
「また行こう」
その言葉をまた聞きたいから。ママもパパも、また、がんばるよ。

新しいスタートを、家族と家族で

年明けには実家でゆっくりと。
双子とオカン
オカンが三男に編んでくれたベスト。
お裁縫の才能は私には遺伝されず。無念。
オカンの煮物と夫のつまみ食い犯行現場

1月2日。
年始に誕生日を迎える母のもとに、我が家と長兄家族が集合する。
8人の孫に囲まれた写真を撮影しながら、母のこの先の人生を考えると、もっともっとゆっくりしてほしいと願ったりする。
でも、この人はきっとそれでは満足しないことも知っている。


「ほら、あたし、鼠年だから!」
オカンの口癖である。
動いていないと、何かしていないと、どうにかなってしまうらしいので、元気なうちはたくさん動いていただくこととする。

ジュリーも、マフラーを編んでもらったようだ


日々を過ごす中で、これから先の未来を想う。
私の仕事も今年は続けられるのかわからない。
長女の気持ちに沿うのであればそれがいい気もするし、それをもってしても彼女の心がどのように救われていくのかもわからない。
次女の様子もどうなるか、双子の療育も考えないと、三男のトイレトレーニングも開始して、夫婦の今後の仕事のバランスも……。


──すべては、どうなるかなんて。わからない。


でも、私にはわかってることもある。
ここで気持ちを吐露したあとは、まっすぐ、家族に向き合う。
「大切だよ」って、「大好きだよ」って、伝える。
そしてお互いが今なにを想うのか、確かめあう。
その繰り返しをしながら進むしかないってこと。


家族に向き合うことは、大切だってわかっていても。それがいかに難しいかっていうことも感じる昨年でした。
だからこそ私にとってnoteは、かけがえのない場所になりました。
今年も私がなにか、ぼそぼそとつぶやいたり書き連ねているかもしれませんが。どうぞあたたかく見守ってくれたらうれしいです。

今年もどうぞ、よろしくお願いします🍀







オカンとジュリーの思い出

コンテストで忙しい12月を過ごしました


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髙塚しいも|5児の母
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