まだ生きているし、生かさなきゃいけないし、書いて生きたいし
長女は「行きたい」と言った
不登校の長女は、先日、自分から、
「僕はなんで調子が悪いのかな」
「いつかは。学校に行きたいって思う」
「まずは。病院に行きたいな」
そう言うようになった。
昨年、不登校が顕著になった頃。
私は「起立性調節障害」を疑って、大きな病院を受診した。
結果として、その傾向は見られず。
「精神的なものが大きいと思うので、児童精神科を受診してください」
との回答だった。
でも紹介状を受け取っておきながら、これまで受診することはなかった。
小児科のカウンセリングやスクールカウンセラーは受けていて、それらを通じても彼女の心が開かれるものはなかったこともある。
何より、家では元気に動き回り、好きなものの話をし、友達に手紙を書き、担任の先生には「大好き」「会いたい」と言っていたのだ。
本人に児童精神科の話をしても「ママがそうしろって言うなら」というので「そうじゃないのよ」と思い、もうその話はしないでいた。
そんな中でついに自分から、そんなセリフが出たのだ。
即座に私は予約の電話をかけた。
「新患の予約はかなり、先になっちゃうんですけども……」
申し訳なさそうに受付の方から伝えられた予約日は2か月後。
思っていたよりも近かったので、私は「全然大丈夫です」と言った。
担任の先生にも、本人がそう言いだしたことと、予約が2か月後に取れたことを伝えると、
「早めに取れたんですね! よかったです!」
と嬉しそうに言ってくれた。
彼女の変化を喜んでくれる人がいる。私の心は、安堵した。
長女は、不登校だけど。
当然のように、今日も明日も生きることを選ぶ。
今日も次女とゲームをしながら笑っている。
それでいいのだ。
双子兄は、療育に行ってみた
以前に、双子兄も療育デビューすることを記事にしていた。
そこから両親だけの面談のあと、実際に双子兄を連れて行ってみた。
心理士の方と、いろんな作業を行う双子兄を見守る。
彼が人の話を聞いていないのは、相変わらず。
質問をされているのに「これはイヤ〜って言ってるねぇ」と別の絵のことを言ったり
最近覚えた数字を急に書いて披露するなどした。
「お茶を入れた」「こぼした」「空欄」
3コマの絵を見て、この空欄に入れるべき行動をとっている絵を選ぶ。
そんな「物事の前後を確認して取るべき行動を選択する」といった「空気をよめるかどうか」の診断もあったりして。
双子兄は「手でふき取る」を選択した。
「でもさ、それだと、腕が濡れちゃうね。ここに、ふきんで拭いている絵もあるね?」
心理士さんの誘導により、双子兄は「ふきんで拭く」絵を最終的には選択することができた。でも「ふきん」という言葉にはいまいち、ピンときていなかった。
「具体的に、今やるべきことを示してあげれば、回答を導き出すことができているように思います。話も聞いてくれるように誘導すれば、最後には考えてくれるようになってくれたかなと。
家でもなにか指示をするときには、目に見えてわかるように、そして具体的に、がポイントになりますね」
そんなアドバイスをいただきながら、今後はどうしましょうか。と聞かれた。
私はひとまずは、「定期的に通う」とか、「診断をしてもらうこと」を保留とした。
保育園で「指示を聞いて、とてもよく頑張ってくれていますよ」「できることがたくさん増えていますよ」「双子兄くんは誰よりも優しいですよ」と、報告をうけたばかりだったから。
もう少し。
彼の頑張りと、「できる」と「できない」を見極めて、何が必要かを考えてみよう。そう思った。
ゆくゆくは。療育にお世話になるだろうなとは、思いつつも。
大好きな双子弟と支えあいながら生きて笑っている。
だから今はこのまま、彼をもう少し自分の視点から見つめてみることにした。
まだ、生きている
まあつまり、こんな風にしながらも、
私は今日も生きていた。
不登校長女の揺れる心に寄り添い
次女の衝動性の暴言をいさめて
双子兄には「ねえ聞いてた?」「わかった?」を繰り返し
双子弟のUNDERTALE攻略を手伝い
三男の今ひとたびの後追い時期に愛とその重さを感じ取っている。
自分のバドミントンの練習を繰り返し
平日には休んだ分を挽回すべく仕事をし
後期から新しく入る授業の勉強をし
子どもに寄り添う形を理解するために児童発達支援士を学び
仕事が忙しくなってきた夫の精神状況を密かに管理し
「人生は忙しいなあ」
そう思ったりした。
つまり、生きている。
まだ生きている。
生かすべき人もいる。
だから大丈夫。
書き続けられる。
書いて生きていける。
文字に起こしてみると私は「生きている」という実感がわく。
noteをはじめて5か月が過ぎ、いろんな文章と人に出会った。
コンテストに応募するということにチャレンジして
「#なぜ私は書くのか」で運よく入賞したり、
「#創作大賞2024」でしっかり落ちたりした。
でも、そこに至るまでのこの情熱は
書かなければ、わからなかったことだ。
少し前までならば、挑戦することすら叶わなかったこと。
「生きていてよかったな」
「今生きていてうれしい」
そう思う。
書くことが好きな自分を思い出し
私はこの先の人生に、目標を抱くことを恐れなくなった。
いつか本という形で、思いを形にできれば。
そう思う。
私が生み出した子たち。
誰かが認めてくれた作品も
選ばれることのなかった作品も
「私が」書いたことでその存在が今ここにある。
私が生きていなかったらこの子たちはこの世にいなかった。
子どもも作品も(産んでないけど。夫も)
同じく等しく愛している。
これからも書いて、私は私を生きていく。
もしこのような記事をサポートしたいという稀有な方がいらっしゃいましたら、ぜひともよろしくお願いいたします。5児の食費・学費にさせていただきます!