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カタルシスで甘やかさない、容赦ないロミジュリ

先日、新国立劇場演劇研修所 第18期生公演「ロミオとジュリエット」を観劇してきました。

作品の中で表裏一体となる強さと脆さが引き起こす"被害"を目の当たりにしました。

このロミオとジュリエットは、恋だの金持ちだの舞踏会だの、そんなロミジュリのキラキラした部分で決して観ている者を甘やかさず、誰のどんな言動でどれだけの被害が及ぶのか、まざまざと見せつけられる作品でした。

映画やミュージカルで鑑賞するロミオとジュリエットには、鑑賞後に胸に甘くときめきが残るような後味を必ず感じてきましたが、それが一切なかった!!こんなロミジュリ観たことない!し、これが現実なのだと気付きました。

岡本健一さんがパンフレットにて"被害を受ける若者"について書かれていましたが、役者陣の薄汚れた顔や衣服は世の中の子供・若者を象徴しているのかなと感じ取りました。そして劇中は煌びやかな貴族の設定ですが、取っ組み合いや嘆き悲しむ姿に衣装がなんともマッチしていて、これがまた観やすかったポイントなのかなと思います。

シェイクスピアの中でもロミオとジュリエットは目まぐるしさや激しさが特徴ですが、その作品の個性を存分に伸ばした演出と上演脚本。カット部分が多いのに今まで観たどんなロミジュリよりも濃く、激しかったです。

シェイクスピアの台詞はその言葉が激しいだけに台詞を口にすることで精一杯になりがちだったり、一生懸命言葉を発することによって感情的に見えたりで終わってしまう勿体ない落とし穴があると思いますが、役者陣はその台詞の強さを超える声量と身体の激しさがあった、だから短くても濃くて、でも観やすかったんだ。
とても自然な流れで感情移入することが出来、それは役者が身体でも台詞を発していたからだと思う、どこにも嘘のないお芝居。
また、逆に言えば身体と台詞が繋がる感覚さえ掴めば一気にのれるんだろうなと思った。
"身体に台詞を言わされている"状態のお芝居はこんなにも切実で激しく、しかもリアルなのだと胸を打たれました。

中でも印象に残っているのが、"ロミオは追放"と聞いてからのジュリエットの独白。
私はこのシーンの台詞が空で言えるほど本当に大好きで、大好きなシーンなんですね笑 おこがましいですけどそんなオタクの私の期待を遥かに超える狂気があって最高でした。考えてみればそうですよ、あんなに我を忘れるほど悲しんでいるんですから、声だって身体だって狂うはずなんですよ。妙に納得させられたような感覚です。

そして今日の大きな気付きであった、自分の目線の変化について話したいと思います。ロレンスがロミオをなだめたり、乳母がジュリエットにロミオは諦めてパリスを勧めたりする気持ちが、今では手に取るように分かるようになってしまいました。数年前の私はいつだって若者に感情移入していたので、乳母のことを当然に裏切り者だと思ったものですが、裏切りどころか本物の愛ですよね…。大人になったんだな私…笑


"ロミオ"、"ジュリエット"。声に出して呼ぶと、なんだか口の中で愛おしさを煮詰めたような甘さがするのは私だけでしょうか…?笑
題名と台詞の端々に練り込められた、ロミオとジュリエットという言葉。私は以前から題名にさえもロマンティックな響きを感じていたのですが、今日聞いたロミオとジュリエットはそんな甘いものではありませんでした…笑 悲痛も悲痛、甘く切ない響きだと思っていたのに、ロミオとジュリエットに限らず、名を呼ぶ時にこんなにも負の感情を込められるものなのね。
モンタギューとキャピュレットの睨み合いには緊張感と殺意が目に見えるような火花を飛ばしていて、初っ端から肌が痛いほど鳥肌が立っていました。

また、開場してから開演するまでの時間で、口上を繰り返す演出にも痺れました。
いつの間にか聞こえ始め、だんだんと劇場を支配していく耳馴染みのある台詞。
美しく激しく聴覚を突き刺す言葉がフックとなり、高校時代に自分がやったロミオとジュリエットが鮮明に蘇ってきました。
こんなに重くて扱いづらいはずの台詞に自分の感情が共鳴出来る瞬間にどうしようもなく焦がれていたこと。
そんな思いだけ刺激されたまま、コロナによってどこにも出し切れない苦しさを感じていたこと。
"花の都のヴェローナに"。この響きだけで私は本当に久しぶりに色々思い出して切なくなって涙を堪えながら、訴えるような彼らの台詞を受け止めていました。

当時感じていたもどかしさごと作品に発散し封印していたのか、私にとってタイムカプセルのような存在の作品です。

新国立劇場演劇研修所長の宮田慶子さんのパンフレットの言葉にもあったように、ロミオとジュリエットはシェイクスピア作品の中でも若い時期に出会うべき作品。私も今改めてそう思いました。10代の頃に出会えたからこんなにもこの作品を未だに愛していられるのだと思います。

また言葉や行動が持つ加害性、人間誰しもが持つ影響力を現代社会に生きる私たちが古典作品を通してよりいっそう胸に刻み込むべき教訓なのだと。今回今までと違う見え方でこの作品と対峙し、気付かされました。

そして最後におまけ話(と言っても私的には一番印象的だった出来事なのですが…笑)
終演後にロレンスを演じていらした石井暸一さんに「しほさんですか?」と声を掛けられ、何かと思えばなんと5年ほど前になるワークショップでご一緒していたのです…!!!5年も前なのに、声を聞いたら思い出して下さったそうで、こんなに役者(と名乗っていいのか笑)冥利に尽きることはありませんよね…!!
久しぶりに現実世界で感動しました。noteも読んで下さっているみたいで、本当に本当に嬉しかったです。家に着いてどうしてこんなに嬉しいのか考えてみたのですが(笑)、おそらく自分が認識されたい自分で知って下さっていたからなのかなと思います。
普段の私は演劇に携わっている訳でも演劇を語っている訳でもないので、好きなことを好きと発信している私として初めて認識されたからこんなにも嬉しいのかと気付きました。
また、こうしてnoteに"言葉にする"という試みが、誰かに届いている"行動"であると初めて実感出来、感動しました!
この先も演劇が好きだという思いと演者を尊敬する気持ちがあればどこへでも行けそうな気がしてきました。
(石井さんのアカウントが分からなくて悔しい!💦)

ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございました。それでは(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)

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