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トドメの一冊

 鬱病を患ってから本を読むようになった。毎分毎秒押し寄せてくる希死念慮と、孤独感から逃れる唯一の方法が本を読むことだった。気力も湧かず、身体を動かすことすら億劫だったあの頃の私にとっては、ベッドの上で物語の世界に入り込むことで現実世界から逃げ出せる時間はとても貴重で、心強い手段だったのだ。
 

 たくさんの本を読んだ。誰もが知っている有名作者からAmazonの検索候補で目に留まった本まで。作中の言葉ひとつに救われたことが何度もある。死にたいほど苦しんだ孤独感さえ愛おしいと思えたこともあった。初めて文字と、言葉と、本の偉大さを知った。

 鬱病が寛解した頃、茨木のり子著の「自分の感受性くらい」という詩集を読んだ。

ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを暮しのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい自分で守ればかものよ

 読んだ瞬間に、こういう言葉と出会うために本を読んできたのだと思った。
 鬱病になった時、何度も不甲斐ない自分を責めた。それと同時にキラキラと輝いている人を何度も羨んだ。なぜあの人は幸せそうなんだろう、なぜ私はこんなに不幸なんだろう。私が見ている”幸せそうなあの人”にも、苦しみながら乗り越えた夜がきっとあることを知っていても、妬み羨んだ。
 誰かを妬み、誰かと比較することで、自分自身を更に孤独の底に落としていた。

 そんな自分を振り返ることができたのがこの本だ。私にとって生き方を変えるためのトドメの一冊だった。うまくいかないことを誰かのせいにするな、時代や、環境や、出来事のせいにするなというメッセージと共に、自分の感受性や価値観は自分で守り、大切にしていきなさいという愛のある言葉だ。決して「うまくいかないのは貴方自身のせいだ」ということではない。
 いついかなることが起きようと、苦しい環境でいようと、自分の感受性を豊かにし、芯をもった人間でいなさいという母のような愛を感じた。

 人生を変えてくれた本はたくさんあるが、なかでもこの一冊は何度も読み返して自分自身に喝をいれてくれる本だ。
 こういう素晴らしい文に出会うためにこれからも本を読み続けたいと思う。

#人生を変えた一冊

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