「美味しいコーヒーってなんだ?」 僕のバイブルであるオオヤミノルさんの本のタイトルです。 古代ギリシャ哲学からずっと西洋では”真理”と”多様性”を議論しています。絶対的な”正しさ”があるのか”人それぞれ”なのか。 ”美味しさ”という捉えどころのない感覚も真理にとても近い概念ではないでしょうか。 哲学的に答えはほとんど出ているようにも思いますが、僕は多様性の方を支持しています。皆さんも時代の風潮が”社会(全体)の豊かさ”から”個人の幸福へ”とシフトしていると肌感覚として
今年に入って結婚したり、一戸建てに引っ越したり、大きいイベントに出展したりバタバタとしてしまった コロナもひと段落な3年目のお盆、そういえばゴールデンウィークも、構えていたのになんだかゆっくりです (ゆっくりって都合が良いけど、ようは暇ってこと、恥ずかしながら) あぁふと、前ほどいい店ってなんだろうって考えなくなったなと思い至りました 悲しいことに美味しいとかいい店にお客さんが集まるわけではない 映えだなんだ、ストーリーだなんだ、サステナブルだなんだ、そういう美味し
近代はとにかく急いでいた。それは勝たなければならなかったから。資本主義は構造的に早い消費を促す。その方が儲かるから。環境危機は早い行動変容をもとめる。待った無しだから。現代社会ではとりわけ早いが求められています。 早いということがもたらす弊害は、僕たちを豊かさからどんどん遠ざけているように思います。僕たち人間はもう少し時間との付き合い方を考えてゆかなければならない、そういう時代なのではないでしょうか。 僕は店主として、焙煎家として、作ったものが早い消費の中で消えてゆくこと
最近というか、これはずっとですがお金のことをよく考えています。頭の整理の為に一度文章として書いておこうと思います。 まず、お金とは何かと考えてみます。 それはツール、道具であるという大前提が僕の中にあります。そしてそれはコニュニケーションのためのもっとも利便性の高い道具であると思います。信用の担保、言葉の省略、距離の無限性、高速度、保存性 しかし、高利便性であるがゆえに、そこに発生したコミュニケーションは無味乾燥なものになりやすい傾向があるのではないでしょうか?省略され
[あらすじ] 1組の母と息子がいる。7年前、理不尽な交通事故で夫を亡くした母子。母の名前は田中良子。彼女は昔演劇に傾倒しており、お芝居が上手だ。中学生の息子・純平をひとりで育て、夫への賠償金は受け取らず、施設に入院している義父の面倒もみている。経営していたカフェはコロナ禍で破綻。花屋のバイトと夜の仕事の掛け持ちでも家計は苦しく、そのせいで息子はいじめにあっている。数年振りに会った同級生にはふられた。社会的弱者──それがなんだというのだ。そう、この全てが良子の人生を熱くしていく
将棋AIには過去や未来という時間の概念が思考に影響しないそうです。常にいま目の前の盤面の最善の一手を打つ。 それに対して人間は過去というものにどうしようもなく影響を受ける生き物で、目の前の盤面に対してその前の一手や過去に打った筋などの一貫性が生まれると言います。これは個性といえるのかもしれません。 今しかないAIに対して、人間が人間である根拠はその過去があるということであり、どうしようもなく過去に問わられてしまう、だからこそ人間といえるのだということ。 過去を美化、正当
今年も引き続き人の行動抑制を要請される大型連休となってしまいました。 僕は自由という価値を簡単に捨ててはいけないと思ってSNSなどで投稿することもありました。要請+同調圧力の構図であった去年から今年は社会の雰囲気も大きく変わり、自由に振る舞う人も増えたのかなと思います。 その結果がどう転ぶかはわからないところはありますが、何れにしても一年という時間経過(猶予)の中では、失敗は政治の失敗であろうと思います。 一方で東京、関西、全国で大小たくさんの施設の閉鎖、イベントの中止
“目の前にある事実を信じるな── ” 聖人か?それとも悪人か? 過去を偽り聖職者として生きる男── 実話をもとに描かれた衝撃の問題作 [あらすじ] 少年院で出会った神父の影響で熱心なキリスト教徒となった20歳の青年ダニエルは、前科者は聖職者になれないと知りながらも、神父になることを夢見ている。仮釈放が決まり、ダニエルは少年院から遠く離れた田舎の製材所に就職することになった。製材所への道中、偶然立ち寄った教会で出会った少女マルタに「司祭だ」と冗談を言うが、新任の司祭と勘違い
少し前になりますが、上田映劇で「行き止まりの世界に生まれて」のダイアローグイベントを開催しました。 [解説] 「アメリカで最も惨めな町」イリノイ州ロックフォードに暮らすキアー、ザック、ビンの3人は、幼い頃から、貧しく暴力的な家庭から逃れるようにスケートボードにのめり込んでいた。スケート仲間は彼らにとって唯一の居場所、もう一つの家族だった。いつも一緒だった彼らも、大人になるにつれ、少しずつ道を違えていく。ようやく見つけた低賃金の仕事を始めたキアー、父親になったザック、そして映
知る わかる 動く この思考は多動力的な面でビジネスする上でとても重要だと思います。動くということ、行動力は若い時には人生を左右する重要な能力だと思います。 僕は時に行動力があると言われることがあるのですが、実は全く逆の性格だと思っています。多動力の無さがとにかく欠点、やりたいなと思うことがたくさん浮かぶけれど、0.1%も行動に移せてないのではないかと思います。 最近はそれでも良いのかもしれないと思う良い言い訳を見つけました。 知るというのは情報を捕まえることで、情報
生産性向上や効率化、会社員時代に大いに疑問を持っていたビジネス用語でした。働き方改革なんかもこの文脈だと思います。 これって経営者の課題ではないでしょうか。サラリーマンは時間捧げることによって報酬を得ているのであって、生産性向上をすればお金が減って時間が手元に残るというシンプルな話です。それによるメリットもなければデメリットもない。時間が欲しいのかお金が欲しいのかというのは価値観でしかないのだから、サラリーマンそれぞれによって受け取り方は異なる。僕はたまたま時間に重きおくタ
右とか左、保守とかリベラル 誰しも聞いたことのある対立構造ですが、現代では単純な二項対立では語れないことがたくさんある。 先日まで上田映劇で上映していた「れいわ一揆」の中で安富歩さんはリベラルのさらに外側という表現をしていた。自分はその外側の存在であり、そういう存在に対して社会は閉ざされていないんだということを示したいと言っていた。 新型コロナウィルスは僕らの社会を壊そうという意思を感じてしまうほど、本当に巧妙に設計されているなと思う。 新型コロナが猛威をふるったイタ
今年は花粉は多いんでしょうか? 一昨年の春から花粉症を克服したと周りに宣言をしつつも、たくさんのティッシュをカバンに忍ばせ、去年も同様に花粉症はなくなったと豪語しながら、コロナでティッシュも品薄みたいなことにビクビクしていた。 今年は今の所、目のかゆみも鼻水などの症状が出ていない。 薬を飲むのが嫌いなので、花粉症がひどい時でも自然に治るんだと信じてグズグズなまま放置をしていましたが、一昨年に腸内環境がアレルギーに関係していることを知って、食生活を見直してサプリで腸内細菌
ここ数年は複雑なことを受け入れることを意識しています。 僕は子供の頃から考えることが好きでした。理系科目が好きだったのは分解すると短い美しい”真理”のようなものにたどり着く感覚があったからです。 ma=F このシンプルな式でニュートン力学的宇宙の全てを説明できてしまえるということにとても魅力を感じました。 もちろんニュートン力学では世界は説明できないように、世界も全く複雑なものだったわけですが、今でも何かの問題を分解してシンプルな解を求める癖があります。 例えば環境
先日観た異端の鳥という作品 白黒の美しい映像と共に人間の暴力を描いた物語で旧共産側の仄暗い、というかかなり暗い印象の映画です。この作品において上田映劇と犀の角さんの共同の対話イベントがありました。 この作品を観た方々でそれぞれの感想や映画の印象などを好き好きに話し合い共有する会で、年代層も幅広く、なるほどと思うこと、共感すること、僕とは違う受け止め方があること、映画の設定に対する知識(言語、歴史、宗教、作家、文学)についてのこと、興味深く話を聞いていました。 Spain
焙煎は手廻しの焙煎機を好んで使っています。 美味しい珈琲とは何かと考える時、言葉で説明できるものとそうでないものがあると思っていて、言葉で説明できるということは、規定可能で、計算可能で、ともすれば実験によるデータ取りと再現性の仕事だと思います。 これは美味しさを極めるには当然のこととして必要なことだと思います。 一方で言葉で説明されない美味しさというのが確かに存在しています。 それは何かとは言えない、体験であり、感覚的なもの 科学的なアプローチで美味しいものをつくるとコ