息子を通じて天職を考える。
天職作りのプロデュースを生業にしているわけですが、実際のクライアントさんのケースというのはプロデュース過程にあるものはなかなか出しにくいものもありまして、息子のケースになぞらえて考えてみたいと思います。
10歳になる息子。
彼には「天職がどう」だとか、「好きなことをやれ」などということは特に言っておりません。
本来的に言えば大人になってから天職作りのサービスが必要というのもおかしいとすら思っていて子供のうちから自然と天職に向かっていくような教育が望ましい、と思っています。とはいえ日本の教育を変えるんだ!とやっていたら息子の子供時代は終わるわけでして、実際にはおうちごとのお子さんとのやりとりの積み重ねで結果的に教育が変わったよね、ということなんだと思っています。
息子には小さいころ、サッカーボール、バスケットボール、グローブ、ローラーブレード、UNOなどのカードゲームなどを誕生日ごとに買ってあげていました。
自分自身は野球出身でしたが、特に「息子とキャッチボールをするのが夢」などということもなく。
保育園で将棋が流行り、当時すい星のごとく現れた藤井君による将棋ブームだったこともあり、「将棋教室に通わせて!」というので将棋教室へ。
ママの強い希望で小1の時に英会話学校にも通わせましたが、「面白くない」というので半年ほどで退会。
将棋教室も「真面目な人が多くて何も話さない」ということで今年コロナでいけなかったことも相まって退会。
小3のときのクラスはサッカーの子が多くサッカーチームへ入団。のびのびチームで最初からポジションをもらって活躍していたけれど、小4になってクラス替えで野球チームに誘われて野球チームに入団。サッカーチームも受験準備だからとやめる子も多くあっさりサッカーは退団。
野球の方は区で一番強いチームなのでなかなか出場のチャンスは得られず。
気の短いママは「試合に出られないならやめさせる!」とキレ出す。
「じゃあやめる」となったものの、チームメートが「やめるなよ」と励ましてくれて再チャレンジ。平日の合同自主練に休まずいったり、合同自主練前には早めに行って練習している。
お盆休みでチーム練習がない時に「ゲームしよ」という息子に「お前のチームだと多分練習している子がいると思う。」と一緒に公園に行ってみたらその通りだった。
朝もいたし、昼もいたし、午後もいたし、夕方もいたし、夜になっても誰か来ていた。
同じようなことは将棋でもあって、好きな子は学年に構わず詰将棋の本を読みまくっていたり、道場に朝から晩までいて大人と対局していた。
将棋の時はなにも感じず、やっぱりつまらない、と感じ、野球では小学校で顔を合わすせいか負けたくないらしく自分で頑張っている様子。
将棋なのか?英会話なのか?それとも野球なのか?
好きの対象をこういう風に切ってしまうとなかなか天職につながらないように思うのですね。
息子の好きなことというのは「身近なところで流行していること」。
今頑張っていることもクラス替えみたいなことで平気で「やめたい」と言い出す気がしているけれどまあそれはそれ。
グローブを買ってあげたときも「野球はやらない」といっていたわけで。
最近はというと成績の悪かった子が塾に行ったら成績急上昇したのを見て今度は塾に行きたい、と言い出している(笑)。
一応「塾で宿題たくさん出るけどいつやるんだよ?」と聞いておくが、「まあなんとかなるよ」と。(こちらとしてもそういうだろうと思って一応聞いたんだけれど。)
彼の場合「次から次へとやって飽きっぽくてやめてしまう、続かない」という風にも見えるだろうけど、見方を変えれば「流行を追い続けている」ともいえる。
ずっと続けようと思っても何かがきっかけで続けられないこともあるし、すぐ辞めればいいや、と思って始めたことがいろいろなことが重なってなぜか続いていることもある。
個人的には天職というのはそんなもののように考えています。