年を取って厚顔無恥になって行ってしまうのではないかと怖れについての今のところの答え。
天職起業&副業プロデュース 小島シゲオです。
2021年もよろしくお願いします。
もともとは副業中心で行っていたプロデュースも最近は副業から始めて起業し、年商1000万円達成!みたいなわかりやすい成果もあげてくださった方もいらっしゃることもあり、天職起業&副業プロデュースとさせていただきます。クライアントさんのお陰で出世しましたね♪
さて。個人的にはもう45歳。だんだんと「恥ずかしい」という感情がなくなっていって、いわゆるところの「ツラの皮が厚い」厚顔無恥になっていくんだろうなぁ、等と思っていたのですが実際はちょっと違っていました。
そんなお話を少し。
「恥ずかしい」
10年以上もいろいろなご相談を受けさせてきたわけですが、ご相談の本質にあるのは「恥ずかしい」のように思います。別にきちんとした相談という形でなくとも。
自分の場合は息子もいることもあり、たくさんの「恥ずかしい」に親としても寄り添っていることもあり、より一層実感します。
「野球チームに誘われてはいりたいんだけど恥ずかしくて誰に言えばいいかわからない。」
「好きな女の子がいるんだけどママにいうと茶化されるから恥ずかしい。」
「塾を探したいんだけど探し方がわからないけど恥ずかしくて言えない。」
「エッチな動画をみたいんだけど恥ずかしい」
これらは子供っぽい恥ずかしリストですが、恥ずかしい感情は大人になっても付きまとうでしょう。
「一人暮らしをしたことがないのがコンプレックス」
「異性と付き合ったことがないのがコンプレックス」
「海外旅行に行ってみたいけど行ったことがなくて恥ずかしい」
のように変な風に拗らせていくケースも多いでしょう。
一応「オジサン」という社会的属性をもちつつオジサンカルチャーにいると逆に恥ずかしくなってくる。。。。恥ずかしくて聞けないから、できないから上下関係でやらせる、女性にやらせるとかその最たる例といいますか。昔父が運転しているときに道がわからないくせに聞けず、「わかってんだよ!」と遠回りして母が代わりに聞く、みたいな光景をよく見ましたが、その感じです。
一方で「そこを図々しく聞かなきゃダメよ!」とばかりに品のないオバサンにもなりたくないなと。
それでいて「失敗を恐れずにチャレンジ!リスクをとることを覚える」とかいうのも「避妊具を買うのが恥ずかしい」「痔の薬を買うのが恥ずかしい」みたいなときにいうのもずれている。そういう恥ずかしさを持っているのに金八先生のノリで黒板に白板片手の講釈が始まる。
「痔はヤマイダレに寺と書く!痔は恥ずかしいことじゃないんです!先生は最近脱毛サロンに行ってですね、肛門の周りを毛の脱毛をしてもらってますよ。将来介護してくれる人がですね、肛門の周りの毛が脱毛されていると介護がとっても楽なんだと聞いて今のうちから準備をしているわけです。薬を買いに行くのが恥ずかしい。将来介護してくれる人の顔を思い浮かべてみてください。そういった想像力が・・・・」
もうやめてくれよ・・・という感じですが、案外この手の大げさなモチベーションアップには常々違和感を持っているタイプでもありました。
実際問題深い悩みの本質ってこの手の誰でもできそうなのに恥ずかしくてできないという感情が過剰になった状態にあるように思うのでなおさらです。
「イベントをたてて誰も来なかったら恥ずかしい」といった悩みも、「何か新しいことにチャレンジする恐怖」とすれば格好がつくので少し大きくしてしまう。
でも個人的な経験からすると、「小学生の時に学校で個室トイレに入れずにみんな家に帰るまで我慢していた」ような感情に近いように思うのです。
オジサンにもなりきれず、かといってオバサンも苦手・・・・既存のものでいうと「男のオバサン」が一番近そうですが、そこまで男性ホルモン出してないわけでもなく男性的には結構ギラついている。
消去法的には「男なのにお母さんキャラ」が一番近いかもしれません。
(お母さん、何も聞かず、代わりに’妊娠検査薬’買ってきて。。。)そんなお悩みに気軽に寄り添える存在でいたいな、というような。
どんどんたとえがおかしくなってきたのですが(笑)、今年もちょっと恥ずかしくて言えない、やれない、といったことで天職を始めることに立ち止まってしまっている方のお手伝いができれば、と思っています。