好きを仕事にしてみてどうだったか?
好きを仕事にしてみて思うのは、シンプルに「どんどん高いレベルで好きなことができるということにつきる」なのですよね。
たとえばスポーツなんかがわかりやすいです。
・友達と野球するレベル
・チームに入って野球するレベル
・プロを目指して野球するレベル
・メジャーまで目指して野球するレベル
チャレンジする前は単純に技術的に上がるだとか給料が上がるというレベルでしかレベルの高低について把握できません。
天職で考えてみると、一つの基準としてわかりやすいので金額にしてみます。
・無料でやるレベル
・有料でやるレベル
・金額を高くするレベル
最初のうちは「そんなにびっくりするような値段付けていったい何が欲しいの?」という風に思っていました。
あるいは「高い割にそんなに大して効果が上がっているようにも思えない」だとか。
そういう疑問が悶々とあったので自分で実際にやってみたらやはりやってみないとわからないことがある。
「そんなにびっくりするような値段付けていったい何が欲しいの?」について、ここでもどっていうなら「シンプルに言うならどんどん高いレベルで好きなことができる」なんです。
何が欲しいかというともっと質の高い「好きなこと」をするために再投資するだけ。
こういうのも傍から見ていると単純に「欲にはキリがない」ように思っていたのだけれど、実際にやってみるとそうでもない(当然中毒のようになる人もいるにはいるでしょうが。)。
だから自分の生活はミニマリスト、みたいな感じでありつつ稼ぐ方はどんどん稼ぐ、みたいなことも普通にあるよね、と。
そして「高い割にそんなに大して効果が上がっているようにも思えない」については自分以外にはそういう風に見える人も多かったけれど、個人的には価格をあげる度に自分と相性がいい人がクライアントさんとして現れてくれる。
相性がもともといいわけだから結果効果が出るというこれまた当たり前の結果。
もしかしたらこれが一番好きを仕事にする意味かもしれないのですが、
「自分の願望がわかる」ということですね。
ある臨界点を超えると欲しいもの大体手に入ってしまうのでなくなってきてしまう。
いわゆる「既製品の願望」をクリアするとそこから先はオーダーメイドで自分で創造していくことだけが願望実現になっていく。
ここらへんは作家さんなんかをイメージしてみるといいかもですね。
たとえば村上春樹さんなんかが今更
「100万部売れる作品を書きました」
「世界中で読まれる作品を書きました」
とか願望リストに書くわけないですよね。
「こんな作品を書きたい」という願望リストを作る作業自体が創作活動になってしまっているはずです。
自分自身の深い願望を知るには自分で天職を創って創り続ける、ということに尽きるように思うのです。