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人の器について考える

シゲクです。今回の記事で120記事目を迎えました。いつも読んでくださる皆さん、本当にありがとうございます。これからも価値ある記事を書き続けていきます。

昨日、ある人から「人の器についてどう思うか?」ということを聞かれました。思えば、聞かれるまであまり考えたことのないテーマでした。

「人の器」といえば、大きい小さいという使われ方をすることが多くあります。

私が思う「器の大きな人」といえば、どんな出来事があっても受け止め、いろんな人の話を聞ける人です。どんな出来事があっても、いろんな人の話を聞きつつも、重要な部分のみを「選択」し、「本質」の部分のみを留めて置ける人が「器が大きい」といえます。

逆に「器の小さい人」がどうかといえば、すべてを自分の中に留め置こうとする人です。「選択」することが出来ない人ともいえます。

「器が大きな人」「器が小さな人」も人としての能力に大きな差があるとは思えません。単純に、何を考えているかどうかだけです。同じことを同じ人から言われたとしたら、「器が大きな人」「器が小さな人」では大きな違いがあります。

何を気にして、何を気にしないのか。どこまで許せるのか、許せないのか。人それぞれの「器」の大きさは決まっています。何を入れるか入れないのか。

現代社会は情報が溢れすぎています。この「note」にも様々な記事があります。

「器の大きな人」でいるには様々な出来事や情報に触れながら、経験値を貯める必要があります。自分ですべての経験値を貯めることは出来ないので、他人から情報を得ることも重要です。

誰から情報を得るのかを「選択」するのも難しいことではありますが、なるべく短く「本質」を教えてくれる人から情報を得ることも出来ます。

本当に自分にとって大切なものは何か、何をしなければならないのか、「本質」を見極め、「器の大きな人」であれるようにしていきたいものです。


昨日の記事である「シゲクのnote×Twitter運用術 第一巻(第一回~第五回)」では、私なりの「note」や「Twitter」運用での「本質」について解説しています。


今日は、この辺で失礼します。

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シゲク
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