母の手料理
カレーが好きじゃないと非国民扱いされる風潮がどうも苦手な私です。こんにちは。カレーは数ヶ月に一度ぐらいがベストです。
いきなりですが、母の手料理の話。
自分はちょっと親子の縁が薄いところがあって、別に虐待されていたとかそんなわけじゃないんですが、家族とはなんか距離感があるって関係です(でした)。
そんな関係性をよく表しているのが、ある日突然実家が消えたという話。
一人暮らしをはじめてしばらくしてから実家に電話したところ、
「この電話は現在使われておりません」
自分としては???だ。夜逃げするような借金とかはないはずだし、基本的に穏やかな人たちだから変なトラブルに巻き込まれるということもないはず。
いくら距離感があったとしても、いきなり連絡が取れなくなれば心配にもなる。
しかし、今のように携帯電話が普及している時代ではないので、家の電話が通じなければどうしようもない。つまり連絡手段がない。
こういうとき、普通なら親戚とかに連絡するものだけど、自分は親だけでなく親戚とも縁が遠い人。親戚の連絡先もろくに知らない。
手詰まり。
もしこうなったらどうします?
実家のあった場所に行って近所の人に話を聞いたりとか、警察に捜索願出したりするのが普通でしょう。きっと。
しかし、私は違う。
普段は至極悲観的な人間なのに、このときばかりは「ま、どうにかなるっしょ」と楽観的に放っておきました。はい。面倒くさがりの薄情者です。ごめんなさい。
とはいえ、薄情者には薄情者なりの心配を胸に過ごしていたある日のこと。
突然親から電話がありました。
「伊豆に家を建てて引っ越した」
は???である。
そんな大事なこと、なぜ事前に相談しない?
「いや、ま、別に深い意味はない」
なんという言い分。子も薄情なら親も薄情。
こんな親にしてこんな子ありです。
というわけで、今の実家には住んだことがありません。伊豆って観光地ならいいかもしれないけど、東京からは非常に行きにくいんだ。なので、拠点が東京の自分は実家に住むこともないでしょう。
だからといって縁が切れているわけではないので、たまには実家に行きます。
確か春頃だったかな。何の用事か忘れたけど実家に行ったとき、ちょっと思い出に残る出来事がありました。
父は何かの用事で外出していて母と二人でいたのですが、ちょうど昼時で「お腹空いたね」となったわけです。
普段なら自分で何かを作ってしまうのですが、そこは一応「実家」。
いい歳になっても、住んだことのない実家だとしても、母を前にすると必然として子供に戻るわけで、まさにおんぶに抱っこに肩車。
母も母で、「息子ごときに母の勤めは邪魔させぬ」かの如く、いそいそと台所に立ち、料理を始めた。歳はとったが手際よくちゃっちゃかちゃっちゃか作る。そして、できたのがカレーライス。
そのとき、ちょっと衝撃を受けた。
「まさかカレーが出てくるとは」
なぜカレーライスに衝撃を受けたかというと、数日前に母と一緒に伊豆の喫茶店でカレーライスを頼んだんです。結構な有名店だったみたいなんだけど、一口食べて二人揃って発した言葉。「大したことないね」。
そんな流れで出てきたカレーライス。
母よ。随分と挑戦的だな。
で、ですね。この母のカレーライス。
マズかったんですよ。
具材は、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、豚肉。
何の変哲もない家のカレー。カレールーを使っているだろうし、マズく作りようがないはずだ。でもマズい。
しかしすぐに気付きました。
少しでも量を多く作ろうとして水を入れすぎる。
貧乏性な人がやっちまう典型的なミスをやらかしていました。
随分、シャバシャバで薄味なわけだ。
母は元々そんなに料理が下手な方ではなかったと記憶しているのですが、そのときのカレーはマズかった。
一口食べて二人揃って沈黙。人の批評は簡単だ。だが、自分のしでかしたことには言葉が出ない。ここで「大したことないね」が言えればどれだけ気が楽だったか。
随分と気まずい空気感。
無言で完食。
父と二人だったらこんなミスはしないんでしょうね。
目の前に子供がいるから昔の癖で多めに作っちゃったのでしょう。子供なんてバカみたいに食うからな。実際食ってたし。
しかしだ。母よ。オレはもうおっさんだ。食は随分細くなったよ。
これが母の手料理の思い出。
「カレーがマズい」という、どうにもしょっぱい出来事が思い出なわけです。
しょうもないと思うでしょ。
でも、思い出になった理由がもうひとつあるんです。
これが最後に食べた母の手料理だったからです。
このカレーの件があってからしばらくして母は入院。
その後、あっという間に旅立っちゃいました。
あっけないものでした。
気まずい空気感の中でカレーを食べていたときは、最後の料理になると思っていなかった。けれど、今思い返してみるとちょっとだけ悔しいですね。
もう少しできることがあっただろう、と。
孝行したいときに親はなし。
よく言ったものです。
母が息を引き取ったとき、窓の外を見ると虹が出ていた。
虹は天に伸びていたので、きっと登っていったのでしょう。
母がいなくなってから早数年。最後の最後にマズいカレーを食わせるという、なんとも微妙な思い出を残してくれたものです。
流石、私の母だ。
そんな母のおかげで、今でもカレーを作っているとシャバシャバなカレーを思い出します。