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#3 【ザ・ラストマン】

「オトナ」と「コドモ」の違い

ちょうど先日成人の日を迎え、2023年度に二十歳を迎える新成人たちがテレビでも中継されていた。

私自身、昨年参加したまだ若干21の若造であるが、成人するとぶっちゃけ何が変わるのかと言われるとあまりパッとしない。せいぜいお酒とタバコが解禁されるくらいだと思っていた。

ここで今年の成人式における、政治家の麻生太郎氏のスピーチを抜粋する。

「もし今後万引きでパクられたら名前が出るぜ。少年Aじゃすまねぇぞ。間違いなく姓名がきちっとでて、カッコ20歳と書かれる。ぜひそれだけは頭に入れて、自分の行動というものにはそれだけ責任が伴うということを嫌でも世間から知らしめられることになる。それがハタチです」

https://www.fnn.jp/articles/-/24645 FNNプライムオンライン

これを見たときに、成人の意味、「オトナ」と「コドモ」の違いの大きな要素のうちの一つを見た気がする。つまり、この両者の違いは間違いなくこの「責任」という要素であり、これこそが本質的であると私は感じた。

しかし、「責任」というのはよく使われる言葉であるが、よくよく考えると極めて曖昧な言葉だ。それこそ国会議員などが不祥事を起こしたりすると「責任をとって辞めます」とか言っているが、少なくとも「責任を取る」=「辞めること」ではないだろう。

ではこの責任というのは一体なんなのだろうか?

今回紹介する本は、この「責任」の正体を見せてくれる一冊だ。

「責任」というのは「自分で決めること」

この本の著者である川村隆氏は、巨額の赤字を持っていた日立をV字回復させた敏腕経営者である。

実際日立は1990年代後半から赤字に転落。最終的な赤字は7873億にも上っており、まさに「大赤字」の真っ只中にいた。

そこで日立の再建を任されたのが川村氏である。

彼の再建事業を通した仕事に対する向き合い方、経営者としての覚悟が見えるのがこの本である。

そして、この一冊を通している筋が題名の通り「ラストマン」という言葉である。この言葉は川村氏の経営哲学とも言えると思う。

ラストマンとは、その名の通り最後の人、つまり自分の後ろには誰もいないという覚悟、責任を表した言葉である。社長というのは会社のラストマンだ。彼の意思決定がその会社の進む方向であり、そこには途方もない責任がかかっている。しかもその会社は日立という日本を代表する大企業だ。

しかし、この「ラストマン」としての「責任」というものを誰よりも理解していたからこそ、大赤字の日立を再建できたのだとこれを読んで感じた。
文章から責任というものの意味とその役割の大きさというものがビシバシ伝わってくる。

そしてここで筆者がいうことを言い換えるならば、「責任をとるというのは、自分が最後の意思決定者になる、つまり自分で決める」ということなのだ。

意思決定のために必要なこと

では、そうすれば自分の意思決定をより良いものにしていけるのだろうか。そこで川村氏は5つの大切な要素を挙げている。それが

  1. 現状を分析する

  2. 未来を予測する

  3. 戦略を描く

  4. 説明責任を果たす

  5. 断固実行する

の5つである。これは独立した5つではない。この順番、シーケンスこそが良質な意思決定のために必要なことなのだ。

ではどうしてこの順番が大切なのだろうか?それはこの五つの順番で実行することでロジックが通るからなのだ。つまり、どうしてその決定をしたのかを説明できるようになる。

この五つの場合、まずは現状がどうなっているのかを把握し、それぞ分析する必要がある。それは未来を予測するにはまずは今(あと付け加えるなら過去)がどうなっていたのかを知っていなければいけない。そうでなければただの予言になってしまう。

そして戦略は、過去・現在・未来のつながりが見えないと描くことはできない。なぜなら戦略というのは必然的に未来の目指す方向性を決める作業だからだ。

そして描いた戦略を実行するには、それを周りに納得してもらわなければいけない。組織の場合は自分だけわかっていても周りが戦略を理解してくればければ実行できない。

最後、周りの理解を得ることができても、それを実行できなければそれは机上の空論でしかなくなってしまう。そのために決めたことは断固として実行しなければならない。

この通り、これは個別の要素だけで見ると当たり前に見える。が、それをこの順番で実行することこそが肝なのだ。

「理」だけでは決められない

ここまで見ると、川村氏はいかにも経営者らしく極めて合理的で論理的にことを決めていく人間だと思われるかもしれない。

しかし実はそうではない。川村氏は本書の中でこう言っている

ラストマンとは情を理解しつつ、理を選択することができる人間である

ザ・ラストマン 著 川村隆

これが個人的に1番スキで、シビれるポイントだ。
つまり、ただ合理的に判断するのではなくて、人間の「情」というのをよくよく理解しつつ、それを踏まえた上で合理的に決定できる人こそが本当のラストマンになることができるというのだ。

川村氏が引用している夏目漱石の言葉を書いておく

「智に働けば角が立つ、常に棹されば流される」

草枕 著 夏目漱石

これは「理知だけで割り切っていると他人と衝突するし、他人の感情を気遣っていると、自分の足をすくわれる」という意味で、夏目漱石の小説「草枕」の冒頭の部分である。

この人間の理性と感情の折り合いをどうつけるのかというのは、我々にとって一生の問題だ。どちらに傾くことも許されない。川村氏はそのバランスを実にうまく取ることができたのだ。

また彼は合理的に考えるために、相手の立場に立って考える重要性も明かしている。一般的に相手の立場に立って考えるというと、相手の気持ちになってという「情」の側面が強いと考えがちである。しかし、そうではなくて、むしろ合理的な判断には「他人の立場に立つ」ことが重要であると述べている。

しかしこれもよく考えると理由がわかってくる。自分の立場で考えるとどうしても自分有利に考えてしまったり、都合の悪いことを見て見ぬ振りをしがちである。

しかしここで立ち止まり、「相手だったらどう考えるかな?」と考えることで自らの判断で非合理的な部分を消すことができる。そして、先ほども言った通り、相手からしても自分の立場に立って考えてくれたという事実は、信頼を高める要素の一つとなることは間違いない。

つまり、この「相手の立場に立ってかんがえる」ということはまさに、「情を理解しつつ、理を選択することができる人間」であるため、ラストマンであるために必要な考え方だったのだ。

ラストマンとしての振る舞い

これを読んでいると、川村氏がラストマンとしてどう振る舞っていたのかのリアルが見えてくる。

川村氏は日立の再建に目処がついた段階ですっぱりと社長の職を辞している。また、社長室が「川村室」になったらその組織は終わりとまで言っている。

つまり、猛烈なプロとしての責任、ラストマンとしての役割は実行しつつも、だからと言って会社は自分のものではない、ということを明確に理解し、それを行動に反映しているのだ。

これは言葉で言うのは簡単だが、実行するのは極めて困難なことであると言えるだろう。特に再建に成功させたなんて言えば、そのまま自分でさらに大きくしたいと思ったり、優秀な社長としてそのままトップに居たくなるのが人間である。

それをせずに、この判断と行動ができるのもある意味ではラストマンとしての責任を全うしていると言えるかもしれない。

カッコいいオトナになるために

私は、この一冊を新成人全員に読んでほしいと思っている。責任という抽象的なものの本質はなんなのか、その正体を一企業の再建というストーリーから見て取ることができるからだ。

私は、これを読んで「カッコいいオトナというのは、正面から責任と向きあて、その責任を全うできる人なんだ」と思うことができ、それが今の自分の意識に深く根付いている。

一方で責任というのは辛く、苦しいものであるのも確かだ。何かあった時、その全てを自分が受け止めなければならないし、それで自分の人生が大きく変わる可能性もある。

現に、川村氏は再建に成功したため、こんな本を書くにまでなっているが、失敗していたらそうはいかなかっただろう。

しかし、そんな巨大なリスクに対して立ち向かい続ける勇気、そしてラストマンとしての責任、それらから逃げ出さないことこそがむしろ「オトナ」になったことの最大の楽しみとも言えるのではないだろうか。

平坦な人生も悪くはない。しかし、山もあり、谷もある人生の方がよりいろいろな景色を見ることができる。そして、その色々な景色が人生をより楽しく彩りのあるものにもしてくれるはずだ。

長い長い「オトナ」という人生を楽しく進むため、そして「カッコいいオトナ」になるためにぜひ一度手に取ってみてほしい。


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