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使う言葉も諸行無常なり

紫風日記📔皐月二十六日

昼過ぎに仕事から帰ってきたのですが、今日の天気は特筆すべきほどの快適さで、帰宅後すぐ、

「こんな気持ちのいい日は晴空の下で本を読もう!」

と、大いに意気込みベランダの椅子に座ってみたら…

…寒かった。🥶チーン…❄️

どうやら駅から歩いて来たからこの温度と湿度を心地良く感じただけだったみたい。

じ〜っと座ってると、あまりの寒さに目が泳ぎ、文字を追うところではなく、這々ほうほうていで部屋に逃げ帰りました。

なかなか思いどおりにはいかんものですな。(笑)

しかし実際のところ、五十路を過ぎてからは夏場でも薄手の物を軽く羽織るなど、年々寒がりになっている気がします。

まぁ、そんなこと言いながら、これから本格的な夏になったらなったで、「暑すぎる」だの「寒い方がマシ」だのと、ブーブー文句ばっかり言ってる己の姿がはっきりと目に浮かびます。

そういえば、最近は美しい人や景色を紹介する時に「美しすぎる!」とか「綺麗すぎた!」みたいに「〜すぎる」っていう表現をよく見かけますが、あれを読むとどうしても、
  「美しすぎたとは…残念やったね」
  「綺麗すぎたのか…ご愁傷さま」
と捉えてしまう。

だからぜんぜん「いいね!👍」と思えない。

度が過ぎて良くないことに対して、
「最悪や、暑すぎるわ。」
…これが本来の「〜すぎる」の使い方なんやけど…。


まぁ、言葉も生き物みたいに姿を変化させていくものなので、「〜すぎる」という表現も「やばい」と同様、本来の意味や用法とは違う方向へと変化している…。

物事は常に変化していて、同じ状態のままではない…いわゆる「諸行無常しょぎょうむじょう」ということですね。

歳を重ねるとともに、仏教の教えや般若心経などに書かれている言葉って、この世の真理を見事に言い表しているなぁ…と実感、痛感しています。😊

【諸行無常】
この世の森羅万象は全部姿も形も本質も常に流動し変化するもので、一瞬といえども同一性を保持できないということを示した仏教用語。

書:紫風晄禎

さぁ♪手書きを楽しもう!😊✨紫風晄禎

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