仕事で叱られた経験の多くは財産になる
いままで仕事でたくさん叱られてきた。
叱られると結構ダメージを受ける。
それに「なんであんなに相手は怒っていたんだろう」とか「あんな言い方しなくてもいいのに。」という感情が残ると、尾を引く。。
けどしばらく経った時に、「あーあの人が言ってたのはこういうことだったのか」とその意味や真価に気づくことが多々あるということを実感している。
もちろん、「それでもやっぱあの剣幕で怒ることはなかったのに」「あんな言い方はしなくていいでしょ。。」とも思うことも多々あるのだが。。
それは今は置いておいて。
ともかく、怒られたこと(叱られたこと)って財産になることもあるなとは思う。
仕事をしていて、「あ、この局面、あの怒られた時と同じだ。」というシーンが良くあるのだ。
で、そういう時に「たぶん、前と同じようにこういうふうにしたら、また怒られそうや。。」と頭の中でアラートが出る。
おかげで、対策を打って、また怒られるのを回避できることが結構ある。
* * *
怒られるのは嫌だ。
だけど、怒られたことは良いか悪いかは別として、記憶に残る。
記憶に残るからこそ、同じような局面を迎えた時に脳が危険を察知してくれる。
そういう意味で、自身を改善する肥やしになる一面があると思う。
* * *
もちろん、すべてのお叱りに前向きな価値があるとは思わない。
叱る側の人間の器が小さいだけだったり、叱る側が自分にとって迷惑だから感情的になっていることも多々ある。内容に意味は無くて、純粋に怒りや不快感だけをぶつけられることもある。そういうのには全くもって価値はないし、それどころか不愉快なだけなので、うまくスルーすることも大事だ。
世の中、そんなに出来た人ばかりじゃないし、(むしろそういう人は稀少である。)すべてを100で受け止めていたら身が持たないだろう。
* * *
なので、私はお叱りは内容を精査するようにしている。
「自分のアクションの何が問題だったのか」
「何かカイゼンできることはあるか」
「そもそもそのお叱りは妥当か?」
「どういう背景があったのだろう。(相手が忙しくてイライラしていただけかもしれないし、沸点の低い人なのかもしれない)
「次から活かせることはあるか」
などなど。
そういう意味で、私はお叱り=フィードバックだと思うようにしている。
フィードバックを受けて、カイゼンできることはカイゼンしていく。
そういうスタンスが健康的だし、本質的だと思う。
今後も、お叱りを受けた時はその内容を精査の上、フィードバックとみなせる箇所は受け止め、カイゼンしていきたい所存だ。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?