パンチライナーとしてのミソシタ。少しサンボマスター、ついでにリル・ウェイン『あみり』。(いと・をかし⑤)
ミソシタを知っているか。
唐突で恐縮ですが、ミソシタさんをご存知でしょうか。
簡単に紹介すると、ミソシタさんはVtuberで、ポエムコアという一聴するとヒップホップのような音楽をリリースされている方です。
下記のアルバムジャケットのような外見をしています。界隈ではかなり有名で人気のある方だと思います。
ミソシタさんとは。
ポエムコアとは、詩と音楽を合わせた音楽形態である(詳細はリンク先参照)。ミソシタはバーチャルYouTuberとこのポエムコアを合わせた「バーチャルYouTuber ポエムコア」を名乗り、投稿する動画ももれなくポエムコアで構成される。ポエムコアの要素のひとつに「スケベ心」があり、ミソシタは詩的表現を用いてこのスケベ心を伝えている。詩と言っても理解できないものではなく、一貫した彼のエロに対する姿勢は見る者を魅了している。
(ニコニコ大百科より引用)
外見どおり下ネタ寄りのキャラクターではあるものの、ミソシタさんはラッパー顔負けのパンチライン※を繰り出します(ミソシタさんもラッパーといえばラッパー)。下ネタ部分もさることながら、僕はみなさんにパンチライン力にも着目してほしいのです。
※パンチラインとは元々ヒップホップ用語で、「ぐうの音も出ないほどの強烈なフレーズ」という意味です
イチオシミソシタパンチライン。
ミソシタさんの歌詞はパンチラインだらけなのですが、私の特に好きなフレーズを紹介させてください。こちら。
現実見ろって俺に言うけど、お前ももっとバーチャルを見ろ
この曲です。
「現実とは何か」問題、私的な経験では、映画『マトリックス』を初めて鑑賞したときから、捨てられて黒く変色したガムのように脳裏に媚びり付いています。
僕はこのフレーズを、ここ数年に聴いた音楽の中で最高峰のパンチラインだと思っています。なぜそう思うのか。
パンチライナー、いけがみ☆あきら。
パンチラインが決まるかどうかには、いろんな要素があります。ワードの強さ、フローのユニークさ、韻の硬さ、時事性、バイブス、シチュエーション・・・。要素はたくさんありますが、パンチライン力は結局、「聴いた人をいかに「ハッ」とさせられるか」です。単に罵るだけでも「殺す」とか強い言葉使うだけでもダメ。逆に言うと熱量だけで強いパンチラインになることもある。そういう意味では、いきなり脱線しますが、いけがみ☆あきらさんも日本で最高峰のパンチライナーです。
「たやすくジャーナリストと自称してほしくない」。
元NHKアナウンサーの有働由美子さんがNHKを退職される際に発表したコメントに、下記のような一節がありました。
「今後、有働由美子という一ジャーナリストとしてNHKの番組に参加できるよう精進してまいります。」
これに対して池上彰さんは
「たやすくジャーナリストと自称してほしくない」
とおっしゃったそうです。安定の辛口。
解説は控えますが、たくさんの文脈と示唆やエールや矜持を詰め込んだこのフレーズのパンチライン力は、僭越ながら天晴としか申し上げようがありません。
「現実見ろって俺に言うけど、お前ももっとバーチャルを見ろ」。
パンチラインの概念を掴んでいただいたところで、翻って、このフレーズ。デジタル化・ダイバーシティ時代に持つべきマインドセットそのものです。至高の思考。
(以降、デジタルとバーチャルの定義で混同があったらどうかご容赦ください)
「リアル>デジタル」終了。
たしかに、インターネットに代表されるような「デジタル」という概念に内包される物々が一般化され、浸透したのはここ数十年だと思う。だから実感として、「現実>バーチャル」という考えがどこか当たり前のような感覚を持っていた記憶がある。
しかしすでに、デジタル化の波は「リアル」という砂の楼閣の大部分を、その広大な海に飲み込んでいる。デジタル化できない"本当のリアル"だけが価値のあるリアルで、それらを除くリアルは、デジタルの海に飲み込まれるか、楼閣の上で誰にも必要とされず絶滅するしかない。デジタルネイチャーとか言ってるくらいだし。
解放と覚醒。
デジタルは、バーチャルを可視化した。その結果、「現実」だと思っていたものが、ただの「バーチャル」だったことがわかってきた。それが年功序列だったり、血縁関係だったり、氏姓制度だったりする。
「相手にとって都合の悪いこと」を「現実」と形容するレトリックは、太古の壁画にジェネレーションギャップについて書かれていることからも、長いこと人類を苛んできた「呪い」であることがわかる。
あのミソシタの、時代の申し子のパンチラインは、僕と君、俺とお前を、その呪いから解放し、真の自分の覚醒を促すステートメントであるのだ。(だからミソシタは全裸なわけで)
ドラッグだってギャンブルだって、エンタメだってバーチャル。愛というのはバーチャルそのもの。
サンボマスター。
今年、ロッキンジャパンに初参加したのですが、MCにおいて一番感動したのはサンボマスターでした。ギターの山口さんが口角泡を飛ばしておっしゃっていたことがまだ忘れられません。
お前らの居場所はここだからな。
終盤、『できっこないを やらなくちゃ』『世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』の前のMCでおっしゃっていたこと。
死んでしまいたいって思っている人いるかもしれねぇ
でも絶対死んじゃダメだ
誰かぶっ殺してぇって思っている人いるかもしれねぇ
でも絶対殺しちゃダメだ
今ここでこうしてる時間は最高じゃねぇか
ここがお前らの居場所で、ここが現実なんだ
辛い毎日が現実だなんて思う必要なんてないんだ
またここに来てミラクル起こそうぜ
というようなことをおっしゃっていたんです。号泣しました。「愛と平和!愛と平和!」
ミソシタとサンボマスターは「音楽」という点だけが共通している、全然違うアートフォームにおいて、同じメッセージを発していたのです。
まとめ
さんざんデジタルとかバーチャルとか語ってきましたが、そのキャラクターや風貌に隠れがちなミソシタのパンチライン力がみなさんに伝わり、「ちょっと聴いてみようかな?」と思ってくだされば幸いです。
ここからビートの話。
【再掲】
ちなみにこの曲を聴いて、僕はKanye Westの『New Slaves』を最初に思い出しました。
やや歌詞の話からそれますが、拍のとり方をどんどん刻んでいく曲、一定量常にリリースされてますよね。僕の視聴経験をたどっていくと、このパターンでおそらくシーンに甚大な影響を与えた曲を思い出しました。
『あみり』。
リル・ウェインの『A Milli』です。2008年、それまでのビートの総決算みたいな曲でした。今、トラップビート全盛時代ですが、明らかにこの曲もその文脈にある。
そして、この『あみり』を分解していくとさらに名曲にぶつかります。
『あみり』を構成する3つ。
わかりやすい要素としては、「声ネタ」「ローテンポ」「スカスカの打ち込み」です。要素だけでいくとまんま『あまはすら』と一緒です。
『あまはすら』
この曲はキャシディっていうラッパーの2005年のヒット曲です。ビートはスウィズ・ビーツが作っています。アリシア・キーズの旦那さんです(元妻はMashonda)。このキャシディが大事な時期に逮捕されてしまい、流れに竿さすことができませんでした。
構図だけだとまんま『あみり』ですよね。
たぶん『そるじゃ』。
リル・ウェインが『あみり』に行きつく要素として重要な曲がこの『そるじゃ』なんじゃないかと勝手に思っています。音数少ないけどグルーブ感じるし、かっこいい。サウスっぽいし。サウスっぽさもまた深掘る必要ある。
本当に雑にまとめちゃうと、下記といえます。雑だけど。
『あまはすら』+『そるじゃ』=『あみり』
他にも音数少ない系だとイン・ヤン・ツインズの『うぇいと』だったり、声ネタってどこから来たのかな?DJ Premierのイメージ強いな、みたいな、まだまだ広がりのある話なのですが、話してみてわかることとして、収集つかなくなってきたので、また別でビートについて振り返る作業をやってみたいと思います。なんかまとまりなくてごめんなさい。
『あみり』の影響先。
ついでに影響先の一部について言及します。アークティック・モンキーズっていうバンドご存知ですか?イギリスのロックバンドなんですが、ヒップホップやリル・ウェインからの影響を公言しているとおり、トラップっぽいビートの刻み方してるし、ヒップホップっぽい歌詞を書いていたりします。
歌詞について、何か知りたいテーマがあったらぜひ教えていただけると嬉しいです。ないかもですが。
そういうわけで、今回の記事を終わります。ちょっとはお楽しみいただけているとうれしいです。上に書いたとおり、歌詞に関して洋邦問わず知りたいテーマがあったら代わりに考察させていただくので、ぜひ教えていただきたいと思っています。
特にリクエストなければ(たぶんないはず)、『TT』についてか、高田渡とトム・ウェイツについてか、シャンソンと歌謡曲と西海岸ヒップホップについて書きたいと思います。いつかボブ・ディランの文学性を日本語で語りたい気持ちもあります。