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おかねのブロックの外し方?

お金持ちになる人には、「お金のブロック」がないのだそうだ。
「お金のブロック」とは、お金をもったりつかったりすることに対する罪悪感のことをいうらしい。
 
この理屈を理解するためには、お金の気持ちになってみる必要がある。
たとえば飲みに誘った友だちに、「あなたと会うのはあまりいいことじゃないんだけど、せっかく誘ってもらったから付き合います」と言われたら?
あまり気分がよくないし、これからもどんどん誘おう!なんて気持ちにはとてもなれない。
お金も、感じることは同じらしい。
せっかく巡ってきてあげたのに、「もらっちゃいけない」「使っちゃいけない」と思われるのは気分が悪い。
嫌な思いをするところにわざわざ行く必要はないので、お金のブロックがある人のところからは足が遠のくのだそうだ。
 
これに対して、「ねえ、飲みにいかない?」なんて軽い誘いに
「行く行く行く! 私もシバ田と飲みたかったの。で、いつにする? お店探すよ? 何食べたい?」なんて食いついてきてもらえると、なんだか幸せな気分になる。
ってことは、お金だって、
「私のお財布にようこそ! あなたのことをお待ちしておりました。さあ、私と一緒にどんな楽しいことをしましょうか?」と迎えてもらうことを望んでいるのだ。
そして、「あなたのおかげで、素敵な服が手に入りました。これを着れば、私の魅力は8割増しです。私をこんなにハッピーにしてくれてありがとう。また来てね!」なんて送り出されると、なおよろしい。
「シバ田のところは居心地がよかったから、またすぐに行っちゃおう」
「次に行くときは、お友だちの津田梅子、ううん渋沢栄一も誘っちゃおう」
ということになり、お金界に「シバ田って、いいらしいよ」なんて噂が広がる。
そして、気づいたときにはお金というお金が殺到するお金界の人気者になっているわけだ。
 
お金のブロックがない人は、お金への愛を隠さないらしい。
だから、「お金が好きです」「お金がほしいです」と言うことに抵抗がないし、お金を差し出されたら、理由など詮索せずに「ありがとう」と受け取ることができるのだそうだ。
私には、間違いなくお金のブロックがある。
それも、河合俊一レベルの高さを誇るやつが。
「柴犬が好きです」なら誰の前でも宣言できるけれど、「お金が好きです」は言いづらい。
道に大金が落ちてないかな、などと夢想しているくせに、スーパーマーケットの自動精算機に残っていた1円玉をサービスカウンターに届けてしまう。
こんなことでは、私の老後は暗い。
 
ただし、お金のブロックは努力によって外すこともできるらしい。
そのための第一歩は、お金への愛を口に出すことだ。
「お金が好きです」「お金がほしい」「金金金」とつぶやき続ければいい。
簡単そうなので、私にだってできるだろう。
でも、今ひとつ乗り気になれない。
この方法の効果を疑う気持ちが、どうしても消えないのだ。
もちろん、わけもなく疑っているわけではない。
正当な理由がある。
 
私の祖母の名前は、「かね」だった。
もしかしたら、「後鳥羽上皇の乳母・藤原兼子からとった」なんて立派な由来があるのかもしれない。
でもまあ、多くの人は、「かね=金=money」を思い浮かべるだろう。
姓名を名乗る機会は多い。
祖母は七十数年の人生の中で、「かね」という言葉をどれほど口にしたことか。
「金金金」と唱えることに効果があるなら、祖母はかなり若い段階でブロック外しに成功し、お金界のアイドルになっていたはずではないか。
でも、実際の祖母は……。
 
日本のサラリーマン家庭で育った中年のせいだろうか。
私の感覚は、「ほしいものは、口に出せば手に入る!」より、
「露骨にほしがられるのって、なんだかイヤじゃね?」に近い。
そんなわけで、祖母がお金持ちになれなかったのは
「かね」と言いすぎたせいではないか?という気がするのだ。
前向きにグイグイ行くことが、常に正解とは限らない。
「金、金、ってうるさいなあ」と、お金の神様をうんざりさせてしまうことだってあるのではないだろうか。
誤解を招く名前をつけられてしまった祖母には、心から同情する。
同時に、娘に欲望丸出しの名前をつけた祖母の両親には「コラ!」と言いたい。
 
ちなみに、私の名前は「久美子」という。
よくある名前だけれど、「永久の美しさ」というとんでもないものを求めている。
でも実際は……。
ああ、露骨にほしがってはいけなかったのに。
欲望を丸出しにするのは逆効果なのに。
私の両親にも、「コラ!」と言いたい。

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