オリエント美術の世界 〜謎に包まれたパキスタンの先史土器〜
パキスタンで前3000年頃に制作された土器群。バローチスターン地方から出土したものである。バローチスターンとはパキスタン西部に位置する地方の名称で、その名は「バローチ族の土地」の意である。「スタン」というのは「国」や「土地」を意味しており、「アフガニスタン」なら「アフガン族の国/土地」という意味になる。
バローチスターン地方は太古より高度な文明が発展しており、また、東西を結ぶ十字路として歴史上重要な役割を果たしてきた。だが、同地の先史時代の土器は、今までほとんど目を向けられて来なかった。つくりが地味であることと、推定年代すら判然としないほど不明な点が多いからだ。調査隊が足を踏み入れる以前から私的な発掘が横行したため、年代を判定するための地層が荒らされており、推測が困難な状況に至っている。
とはいえ、「何もわからない」で終わってはあまりに寂しいので、ひとまず視覚的にわかるものから観察していこう。
形状からしてロクロを用いて制作していたことがわかる。5000年前にすでにロクロの技術があったことに驚くが、このエリアは文化面において非常に進んでいた。また、共通して赤あるいは白い下地に黒線で幾何学文様または動植物文様を描く傾向にある。素焼きで赤い色を呈する土器は、バローチスターンで生産されたものの典型例である。この色は土に熱が加わった際にできる自然な発色である。白い土器は、スリップといって化粧土が施されたものである。色味の違いはあるもの、どちらも黒線で幾何学文様を描いている。この文様にどんな意味があったのかは不明だが、こうした土器が墳墓から出土する傾向にあることから、宗教的な意味合いを内包した文様なのかもしれない。死後の世界や葬儀にまつわるイメージを再現したものだったのだろうか。
本作または類品、調査隊の僅かな報告書から察するに、これらは死者への副葬品として制作された可能性が高い。状態が良く利用された痕跡がほとんどない傾向にあること、墳墓から出土するケースが多いことが挙げられる。
いずれにせよ、不明な点が多く、謎に包まれた土器たちである。現在、このエリアは政治情勢の不安定さから発掘調査が行いにくい状況にある。そうした背景も相まって研究は停滞している。古代と現代はリンクしているから、現代での問題が解決しなければ、古代の問題も解決しない。安心して発掘が行える世界の到来を切に願っている。
パキスタンのバローチスターン地方で出土した土器。年代は、前2200~前2000年頃と推測される。インダス文明と並行して存在していたクッリ文化の土器である。クッリ文化は、多くの書籍やメディアでインダス文明と混同されて認識されているが、実際には異なる独自の文化である。
イランの土器に見られるような連続した山羊文が見られることから、両者の交流があったことが文様からうかがい知れる。連続山羊文が施された本作は、よく皿として解釈されるが、実際は壺の蓋だった可能性が高い。横から観察した際の形状からそれが判断できる。
利用された痕跡がなく、状態が良いことから死者に捧げられた副葬品と考えるのが妥当だろう。だが、こうしたものが墳墓からではなく、住居跡から出土することもある。どちらにせよ、利用した痕跡がほぼなく状態が良い。類例を観察しても、ほとんど使用された痕跡がない状態で発見される。すなわち、生活用品ではなく、宗教的なものとして生産された特別な土器だった可能性が高い。
パキスタンで出土した先史時代の土器は、まだまだ多くの謎に包まれており、ほとんどわかってない。彼らが文字を持っていなかったことと、地域的に発掘が行いにくいことも関与している。不明な点が多すぎることから、かつてこうした土器は見向きもされなかった。しかし、近年になって英国のコレクターを中心に需要が増大している。一目に触れることで、新たな発見があることを切に願う。
Shelk 詩瑠久