アンティークコインの世界 | 古代ギリシア・ローマコインを鑑賞する
今回は、ギリシアコインの代表作である南部イタリアの一枚のコインと、ローマ帝国で発行された戦勝記念貨を二枚紹介する。後者二枚はローマの歴史を記録するものであり、資料的価値を見出せる大変興味深いものである。
図柄表:騎馬少年
図柄裏:イルカに乗るタラス
発行地:イタリア南部カラブリア地方タレントゥム
発行年:前281〜前272年頃
銘文表:APIΣTIΠ(アリスティプ)ΓY(管理番号)
銘文裏:TAPAΣ(タラス)
額面:ノモス
材質:銀
直径:20.8mm
重量:6.3g
分類:Vlasto 732、HN Italy 1000、Evans VIIB
イタリア半島南部のギリシア人植民都市タレントゥムで造られたノモス銀貨。ノモス銀貨は、一般的なギリシア圏で流通していたドラクマ銀貨2枚分に相当する価値を有していた。
発行都市タレントゥムは、前8世紀にスパルタの植民都市として建設された。だが、前3世紀に入ると北部で勢力を増してきたローマがイタリア統一を目指してタレントゥムまで南下する。ローマ人は軍用道路であるアッピア街道を延長し、タレントゥムに進軍する。対するタレントゥムは、マケドニア西部に位置したエペイロス王国のピュロス王に支援要請を出して抵抗した。ピュロス王は戦象を導入して大規模な戦闘を繰り広げたが、戦果は芳しくなく、撤退を余儀なくされた。結局、タレントゥムは前272年にローマに制圧され、その支配下に入った。第二次ポエニ戦争が開始されると、タレントゥムは前214年にカルタゴの将軍ハンニバルによって占領された。だが、前209年には再びローマの支配下として奪還される。以後、タレントゥムはローマの重要な港町として栄えた。
表側に騎馬人物、裏側に海神タラスを描いた本貨は、ヴァリエーション違いが多数存在している。騎馬人物とタラスというモティーフは同じでも、彼らの向きが違うものや人物のアトリビュート、描かれる動物、人物の数などがものによって異なる。このコインは細分類が多く、非常に興味深い。
本貨の場合は少年が馬に乗っているが、成人の武装した兵士や疾走する男性騎手が描かれているものもある。また、本貨には馬を留めている男性の馭者が描かれているが、これが勝利の女神ニケで描かれていることもある。馭者自体が描かれず、騎馬人物が単独で描かれるものも存在する他、ニケが滑空している構図も存在する。この少年騎馬像は、マケドニア王国でフィリッポス2世の治世に発行されたテトラドラクマ等と類似している。少年はアレクサンドロス大王の少年時代の姿を表したものであり、彼が跨る馬は名馬ブケファロスと推測されている。エイペロス王国はマケドニア王国の後継国であり、その影響を受けたタレントゥムはマケドニアで発行されていたコインを参考にしたのだろうか。
登場人物らが裸で描かれているのは、特にアテナイを中心に裸が人間の理想形とされていたからである。鍛え上げた肉体であれば、人に見られても恥ずかしくなく、衣服を着る必要はないという考えが当時のギリシアには存在した。それゆえ、完全なる存在である神々は衣服を着用しない姿で描かれることが多く、コインの上に表された人物も理想形のため、腹筋等が発達しており、衣服を着用していない。
本貨の馬の脚の間と騎馬人物の右側に刻印されたギリシア文字は、発行者名と管理番号をそれぞれ示している。
本貨の場合は裏側のタラスはイルカに跨って弓矢を持っているが、彼のアトリビュートは盾、イルカ、ニケ、カンタロス(酒器)など複数存在する。また、象が小さく描かれているが、これがフクロウの場合もある。ピュロス王による戦象の援軍を要請したタレントゥムだが、本貨に描かれた象の意匠はそうした背景が関与しているのだろうか。
タラスの左側に刻印された文字は、「タラス」を意味するものであり、本貨に描かれた男性がタラスであることを文字によっても補強している。。因みにタラスは海神ポセイドンの息子であり、彼がイルカに乗ってタレントゥムに上陸し、都市を建設したと伝承される。本貨はまさしくその神話のワンシーンを描いたもので、タレントゥムの人々の出自とアイデンティティを体現している。古代ギリシアには無数の都市国家が存在し、各々が自分たちのシンボルを刻んだコインを発行した。本貨もその例のひとつであり、自分たちの神話上の先祖であるタラスを刻むことで国民性をアピールしていた。
参考までに、騎馬人物とタラスが描かれたこのノモス銀貨の別パターンを掲載する。一番左側の列が今回紹介したものであり、中央と右側はデザイン違いである。騎馬人物とタラスというモティーフは全て共通しているが、細部が微妙に異なっている。上記で述べたような差異が見受けられるのが分かるだろう。モティーフが共通する他、タラスの名を意味するギリシア文字が全てに刻印されている。
図柄表:マルクス・アウレリウス
図柄裏:アルメニア人捕虜
発行地:ローマ帝国ローマ市造幣所
発行年:165年頃
銘文表:ANTONINVS AVG ARMENIACVS(アントニヌス 皇帝 アルメニア征服者)
銘文裏:P M TR P XIX IMP II COS III ARMEN(最高神祇官 護民官特権保持19回 最高軍司令官2回 執政官3回 アルメニア征服者)
額面:デナリウス
材質:銀
直径:16.0mm
重量:3.2g
分類:RSC9、RIC III 122
五賢帝時代のマルクス・アウレリウスの治世にローマ市造幣所で発行されたデナリウス銀貨。本貨は難航していたアルメニアの制圧を記念して発行された。
アルメニアは、前6世紀頃には既に周辺地域との交易を積極的に行っていたことが確認されている。前1世紀にはアルメニア王国を築いていたが、ローマ帝国、パルティア王国、ペルシア帝国の板挟みになり、各々の属州に併合されるに至った。だが、キリスト教の信仰の中心拠点として発達した地でもあり、多くの著名なキリスト教徒を輩出している。
表側には市民冠を頂くマルクス・アウレリウスの肖像が描かれる他、ラテン文字で彼が所有する称号が列挙されている。注目すべきは、「アルメニクス」という新しい称号が見受けられる点である。トラヤヌスの治世でもダキア制圧を記念して「ダキウス」という称号が彼には与えられた。その例と同様にアウレリウスにも、その功績を称えて前164年に元老院から新称号が与えられた。マルクス・アウレリウスの人生は、そのほとんどが戦争に明け暮れたものだった。ローマが繁栄を謳歌した輝かしい五賢帝時代の最後は、異民族の侵入に苦しむ壮絶なものだった。結局、マルクス・アウレリウスはローマに帰還することなく、マルコマンニ戦争の最中に現在のオーストリア・ウィーン近郊で病死した。
裏側にはアルメニア人の捕虜が描かれている。本構図は、ローマによるアルメニアの制圧を象徴している。この戦勝はマルクス・アウレリウスの義弟ルキウス・ウェルスが挙げたもので、彼が指揮した東方遠征の成功を記念している。本貨は表側がマルクス・アウレリウスの肖像で裏側がアルメニア人捕虜の意匠だが、表側がルキウス・ウェルスで裏側が同じアルメニア人捕虜のデザインも存在している。ローマ帝国は、この勝利によってアルメニアから大量の戦利品を手にし、帝国内に持ち込んだ。だが、恐ろしいことに兵士を媒介として同時に天然痘まで持ち込んでいた。感染した兵士たちによって広まった病は、帝国中に瞬く間に広がり、数え切れないほどの人々がなくなった。疫病の蔓延はローマの国力を大幅に減少させ、これが帝国の衰退の要因ともなった。
図柄表:セプティミウス・セウェルス
図柄裏:パルティア人捕虜、戦勝記念柱
発行地:ローマ帝国ローマ市造幣所
発行年:201年頃
銘文表:SEVERVS PIVS AVG(セウェルス 敬虔なる者 皇帝)
銘文裏:PART MAX P M TR P VIII(パルティア征服者 最高神祇官 護民官特権保持8回)
額面:デナリウス
材質:銀
直径:18mm
重量:3.1g
分類:RSC370、BMCRE252、RIC IV 176
セプティミウス・セウェルスがパルティアの制圧を記念して発行したデナリウス銀貨。自身の肖像と捕虜にされたパルティア人が描かれている。
パルティアはイラン系部族によって築かれた国家であり、強力な軍事力を有していた。特にローマとは激しい抗争を繰り返していた。結局、ローマをもってしても完全制圧は叶わず、最終的にはペルシアに滅ぼされ吸収された。
表側にはセプティミウス・セウェルスの肖像が描かれている。彼は初のアフリカ属州出身の皇帝として知られる。アフリカの有力な騎士階級の生まれで、成人するとローマ帝国軍に入団してその才覚を発揮した。コンモドゥス暗殺後の動乱を収束し、帝位を掌握した。コンモドゥスの死後は、ペルティナクスの擁立や競売によって帝位を獲得したディディウス・ユリアヌスなどが存在したが、いずれもその統治は短期間で終焉した。その後も将軍同士の帝位継承争いが勃発したが、狡猾なセウェルスがいち早く行動し、皇帝として地位を確固たるものとした。セウェルスは軍に何よりも重きを置く人物で、二人の息子カラカラとゲタにも帝位を譲る際にそう遺言した。
ローマ帝国軍に敗れて捕虜にされたパルティア人が描かれている。彼らの背後には、ローマ兵がパルティア兵から奪った武具で組み立てた戦勝トロフィーが立てられている。この構図は共和政期から見られるもので、ローマコインの上には頻繁に登場する。ローマは共和政期から、このような戦勝記念貨を度々発行している。また、「パルティクス」という称号が刻印されているのも本貨の注目すべき点であり、セウェルスの功績を称えている。
以上、三枚のコインを紹介した。細分類の考察や歴史的事件の探究ができる興味深いコインである。どれも直径20mm前後しかないが、情報量が多く、推察の余地がふんだんにある点に驚かされる。古代ギリシア・ローマコインの魅力は、そうした点にあると思う。2000年近く前の太古の人間が何を思い、何をしていたのか。そして、どんな夢を抱いて日々を過ごしていたのか。そんな彼らの想いが古代コインに触れると、ほんの少しだけ垣間見られるような気がする。
Shelk 詩瑠久🦋
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?