'ピアニスト La Pianiste' dir. Michael Haneke
若い頃、ミヒャエル・ハネケ監督の作品全般が苦手で苦手で仕方なかった。どんなに批評家に絶賛されようとも、この人が作る冷笑的な作品は好んで見ることはできなかった(今も苦手)。各作品の俎上にあがる人間たちは、たとえどんなに表面上取り繕っていても、グロテスクな内面をべろんと曝け出す。そんな彼らを映画は高らかに嘲笑するのだ。
今は自分自身が歳をくったということもあり、苦手な作品も支障無く鑑賞できる。初見時に、あまりの狂気(変態性)の大洪水にお手上げ状態だった'ピアニスト La Pianiste'にも落ち着いて対峙できる。私にとっては、実は"本当に恐ろしいホラー映画"の一つになっているのだが。
'ピアニスト La Pianiste' dir. Michael Hanekeミヒャエル・ハネケ
<ご注意>この映画に関しては、ネタバレせずに感想を書くのが難しいため、本日もネタバレしています。映画本編をご覧になってからお読みください。
この作品のヒロイン、エリカは、精神を病んで病んで病んだ果てにモンスターと化した哀れな女性であり、多くの観客にとって感情移入も理解するのも難しいキャラクターだ。
躾の厳しい親というのはよくいるが、中にはエリカの母親のような所謂毒親で、その母親と娘が病的な共依存関係にあるという話は珍しくない。私の母親も毒親だったし、彼女も私の人生を支配しようとした。ちなみに、私は両親からは徹底的に距離を置き、彼らの最期は看取って見送ったが、私の人生に一切侵食はさせなかった。冷たいと言われようが、毒親への対応としてできることはやったと思う。正直に言って、今は呪縛から逃れてほっとしている。
エリカの場合、優秀なピアニストであり、かつ国立音楽院の教授という社会的にも権威ある地位についていることで、特殊な事例なのだろうか。40歳を過ぎても自分を子供扱いする母親と同居し、エリカは母親から支配されることを喜んで受け入れているようにさえ見える。共依存関係に苛立ったり、母親の呪縛がいやになると、己の身体を痛めつけて血を流し、一種のトランス状態に陥る。自傷することは、生徒たちを情け容赦なく酷評すること以上に、エリカにとって精神の解放であり、歪んだ母娘関係に耐えるストレスを発散するチャンスだったのかも。……ただ、これにはひょっとしたら、キリスト教の教える道徳観念が影響しているのかなぁとも思う。自分を鞭打ってキリストの受難を共有し、その教えに近づく…という。違うかな。'キャリー Carrie' (1976)におどろおどろしく登場したキャリーの母親ー宗教にいれ込み過ぎて、普通の高校生の生活をエンジョイしたかった娘を殺そうとしたーを思い出す。
自分の周りにある世界全てから抑圧されるストレスと繰り返される自傷行為によって、危ういバランスを保っていたエリカの精神は、ハンサムな年下男ワルターの出現によって脆くも崩れる。まあ、当然の流れだな、哀しいが。最初の出会いは演奏会で、エリカがワルターのピアノに才能を見出す。ワルターは何故か、誰に対しても厳格で批判がましいエリカを気に入り、エリカの教えるクラスに強引に入り込んだり、ストーキングして肉体的接触を求めてくる。そんな経験は初めてだったエリカにとって、修行僧のようなストイックな毎日の繰り返しは一変する。今まで縁の無かった自身の女性性が解放を求めて目覚めるのだ。経験のない"心の変化"に戸惑うエリカは、心の奥に秘めた願望をワルターに知られてしまう。今まで抑圧されていた分、爆発的な勢いで色々な感情が一気にエリカから溢れ出てしまったのだ。
ワルターは一度はそれを猛烈に拒絶するものの、後に所謂"特殊プレイ"の一種として、"エリカのために"受け入れる。しかも、ワルターの精神は壊れていなかったことは、翌日明らかになる。何事もなかったかのように、エリカに爽やかな笑顔で挨拶したからだ。エリカは、まあ彼女自身の希望とはいえ、殴られたために顔が腫れあがっているひどい状態だったのに。エリカにとって秘密の共有は、生きる意味を左右する程の重大事だったのに、ワルターにとってはちょっと変わったお遊びに過ぎなかったのか。或いは、所詮は狂人のたわごと、ワルターにしてみれば、一度は付き合ってやったが後は知らんってことか。いずれにせよ、エリカの抱える秘密というものが、エリカが期待したようにはワルターに作用しなかったのだろう。ワルターからの憐れみやお情けは、エリカにしてみれば、彼女の秘密をゴミのように踏み躙ったに等しかったのでは。
ラスト、人生最大の屈辱=ストレスを得たエリカの精神は完全に境界線を踏み越えていく。彼女はある意味やっと自由になったとも言える。恐ろしくて哀しい最後だ。救いがない。普通の映画なら、ここで何らかの救済措置がエリカに対して施されるのだろう。でもハネケ監督は、自滅した人間を絶対に救わない。ただまあ、エリカを単なる"気の毒な人"として認定してしまうのも、エリカという人格に対して失礼ではあるだろう。
日本版のポスターには、こんなキャッチコピーが書かれていた。
ワルターのエリカへの返答だそうです。
これはちょっと美化してるかな(笑)。
私の個人的意見だが、この作品はそんな綺麗なラブストーリーではない。ラブストーリーが絶対見せない裏側の事情を見せる作品だと思う。
ハネケ監督の作品群に通じる持ち味を持った映画は、リューベン・オストルンド Ruben Ostlund監督の諸作品だろうか。'ザ・スクエア思いやりの聖域 The Square' (2017)も'フレンチアルプスで起きたこと Turist' (2014)'も、人間の本性をグロテスクなユーモアたっぷりに容赦なく描いている。北欧の映画監督に共通する特徴なのか、あの'ドッグヴィル Dogville'(2003)や'ダンサー・イン・ザ・ダーク Dancer in the Dark' (2000)などのラース・フォン・トリアー Lars von Trier監督の作品群も悪意溢れる人間性観察日記だった。
ああそうだ。'ピアニスト La Pianiste'のエリカを見ていて思い出したのは、'ダンサー・イン・ザ・ダーク Dancer in the Dark'の純真無垢のヒロイン、セルマだった。
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