'イニシェリン島の精霊 The Banshees of Inisherin'
人生は糾える縄の如し。
<ご注意>映画のネタバレを含みます。本編をご覧になってからお読みください。
'スリー・ビルボード Three Billboards Outside Ebbing, Missouri'(dir. マーティン・マクドナー Martin McDonagh)は素晴らしかった、確かに。娘を何者かに殺害されたミルドレッドという主婦が、犯人を逮捕できない警察や犯人が紛れ込んでいるかもしれない町の住人に対しての怒りを表現するため、町外れの道路にどでかい看板を立てる。それがきっかけで、ミルドレッド対地元警察+町の住人という対立構造ができてしまう。誰にも頼れない中で、1人闘うミルドレッドの気持ちは痛いほど分かるし、地元の人たちが感じているなにがしかの罪悪感や居た堪れなさも理解できるだけに、双方の心理的圧迫感が増してゆくスリリングさたるやすごいものがあった。
しかし私は、やっぱり'イニシェリン島の精霊 The Banshees of Inisherin'を溺愛する。マーティン・マクドナー監督の作品といえば、コリン・ファレルとブレンダン・グリーソンが出てこなくちゃダメだという、私の勝手な思い込みがあるからだ。
なにせ、'ヒットマンズ・レクイエム In Bruges'での名コンビっぷりは、'明日に向かって撃て! Butch Cassidy and the Sundance Kid'や'スティング The Sting'でのポール・ニューマンとロバート・レッドフォードに匹敵すると今でも思っている。大好きなマクドナー映画である'セブン・サイコパス Seven Psychopaths'(コリン・ファレル主演、ブレンダン・グリーソンの出演は無し)が実にアメリカらしいカラッとした空気を持っていたことを踏まえ、改めて'イニシェリン島の精霊 The Banshees of Inisherin'を見てみると、ファレルとグリーソンの2人が佇むと、映画の息遣いが自然とイギリス、アイルランドになっていくことが分かる。
イニシェリン島という、アイルランド沖の小さな島に生まれ、住んでいる2人の男パードリックとコルム。彼らは、歳は離れているが、長年友情を培っていた。…筈だったが、ある日突然、コルムは「お前とは残りの人生ずっと、金輪際口をきかない」という一方的な絶縁宣言をパードリックに突き付ける。コルムが何故そんな態度を取るのか理解できないパードリックは、飼い主の後をついてまわる子犬のようにコルムにまとわりつこうとする。コルムは、パードリックがくだらなくて退屈な話を今までのようにするなら、自分の指を切り落とすと凄む。果たしてコルムは、本気で自身の指を切り落としパードリックの家に投げつける。
正直者で無害だが愚鈍なパードリックと、バイオリンを弾く洒落者で、パブでもすぐ賑やかな集団を作って周囲を楽しませるのに長けたコルムは確かに正反対だ。正反対だからこそ長い間友情が続くということは実際にある。だが、そんな友情も何かの拍子にあっけなく壊れるのもまた実際にあることだ。初老の域に達したコルムが今までの己の人生を思い起こし、内戦に揺れる本島を横目に見ながら何の希望も未来も見出せない島での生活に、突如焦燥に駆られたということはあると思う。突然バイオリンを引っ張り出して作曲を始めたり、年若い音楽家達と演奏に興じたり。人生の砂時計は後どれぐらい残っているか。その残りの時間で、何か意味のあることはできるのか。不安と気鬱と焦りと。
パードリックは残念ながら、人生の残り時間と戦うコルムの気持ちは理解できない。が、コルムが切り落とした指を誤飲したせいで死んだ愛ロバ、ジェニーを悼む気持ちはパードリックを変えた。それと時を同じくして、最愛の妹シボーンも、パードリックとコルムの関係の狂気や、相手の粗探しに終始する閉鎖的な島民の狂気に愛想を尽かして島を出ていく。パードリックも、島の中で独りぼっちになってしまうのだ。
愛憎もまた糾える縄の如し。愛し合っていても相手を容赦なく傷つけたり、憎み合っていても相手が大切にしている犬はきちんと世話したり。
'デュエリスト/決闘者 Duellists'(dir. Ridley Scott)のガブリエル・フェローは、アルモン・デュベールを決闘で倒すことに取り憑かれ、人生を棒に振った。しかし今にして思えば、フェローの人生には決闘という大きな目標が常にあったわけで、それはそれで充実したものだったのかも(デュベールにしてみればいい迷惑だろうが)。デュベールと対峙する際にはいつもお互いの命を賭ける。そこには、"相手を倒すこと"以外には何も存在しない。闘っている時間は、家族や友人と過ごすよりよっぽど激烈で濃密な聖域だったろう。
コルムとパードリックの関係も、奇跡的に古代の姿を保持し続けるイニシェリン島の神話のように、愛憎が縄のように分かち難く絡み合う聖域になるのだろう。
コルムが自分自身の指を切り落とし、パードリックの家の玄関先に投げつけるシュールなシーン。死を告げるアイルランド神話の精霊バンシーが、ぷかぷかタバコを嗜みつつパードリックに"コルムの愛犬の死"を予言するシーン。さながら'デュエリスト/決闘者 Duellists'ラストシーンのフェローのように、パードリックとコルム、2人してイニシェリン島に差した厳かな朝日に包まれながら、改心して仲直りするでなく、そもそもの意味を失った"戦い"の継続を約束するシーン。(彼らの"戦い"は、本来の意義を失ってしまったアイルランド内戦と同じだという皮肉。)どれも笑えるシーンなのだが、果たして本当に笑っていいものかどうか、悩ましいと思う観客は私だけではないだろう。笑うという感情と、それとは正反対の不愉快な感情を同時に掻き立てるシーンなのだ。ここでも、快、不快の相反する感覚が縄の如く絡み合っている。
Disney+にて鑑賞。
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