SHEEP 羊ではなく、先生の教育パートナーです。
初めまして。SHEEP代表のyoshiyukiです。高卒採用コンサルタント&先生の教育パートナーをやっています。noteは今まであまり使っていませんでしたが、少し書いてみて、実はいろんな人に見ていただけてるんだ、ということを知りました。なので自分のことを本気で書いてみようと思いました。
この記事で書くことは、3点です。
①何をやってたの?
②何がしたいの?
③どうやるの?
この3点です。
ここまで来るまでに、いくつかの分岐点がありました。前段の話が長いと思いますが、大事なことなので書いていきます。少しでも皆さんに知っていただければ幸いです。
①何やってたの?
学生時代 〜働く前はどう思っていたのか?〜
高校は吹奏楽部で、日本各地、世界を演奏旅行で飛び回っていました。部活動が忙しい(言い訳ですね)から自分の進路を深く考えていませんでした。一応進学校だったので大学行くことは考えていました。担任の先生にいろいろ相談したところ「人と関わることが好きだ」ということで「心理学」を専攻することになりました。大学では教育心理学を専攻、子どもの発達に興味がありました。学校と人に関することが好きで、学級風土とユーモアというテーマで論文を書きました。
学校の先生になりたかった
そう思ったのは人に興味があったからです。おのずと学校の先生という仕事が成長に携わる=人に携わると思い仕事にしようと決めました。そこからは「教育心理学」を専攻しているゼミに入り、教育免許をとるため授業をうけていました。結局教員採用試験には落ちてしまい、教育に携わる一般企業へと就職することになります。
学校の先生と深く関わる仕事
世の中にはたくさん仕事があるなぁと感じます。合同説明会が世の中にあると思いますが、それを企画運営する仕事です(大学、短大、専門、企業と高校生を引き合わせる仕事)。
ただ面白かったのはそれだけではなく、先生と進路計画をたてたり、高校生の前で講演会をしたり、夏には高卒就職を希望する生徒と面接指導を実施しました。
年間180回
イベントを企画、何万人の生徒の進路支援を行いました。この回数は、その年にイベント会社でも一番数多くやっていたと思います。2日1回のペースですからね、、、。
とても忙しい仕事でしたが、生徒と先生の両方と深く関わることができて充実していました。しかもたくさんの学校と。学校によっていろんな特色があるので本当に面白かったです。
高卒就職に向かう生徒を見て、、、。
先生にはなれませんでしたが、教育に携わる仕事につくことができました。しかも生徒の進路を先生と考え、イベントを企画する会社です。生徒の前でも授業することも多く、時には生徒から「先生」と呼ばれることもありました。先生と一緒に仕事をするのは本当に楽しくて、しかもいろんな学校、先生、生徒と関わることができたので一石二鳥のような仕事だったと思います。
しかし、仕事で初めて「高卒就職」を目の当たりにしてとても違和感に感じました。というのも、自分自身、高校の次は大学に行くものだと当たり前のように思っていたし、なんの仕事につくかなんて大学にいって決めるものだと思っていたからです。学校の授業では長く働ける会社を見つけよう、という指導をします。
データで出てますが、やめた後に非正社員になる数は大学より高卒の方が高いです。だからわかるんですが、、、。
(高卒就職したから悪い、ではもちろんありません。その選択肢が周りにも自分にもなく、その実態を知ったときに衝撃的でした。)。
だから、高校生のうちに就職活動をして、自分がやりたい仕事を探していくってこと時代にとても違和感というか凄さというか、ショックに近いものを感じていました。「高卒で働く生徒はすごい」と思っていました。自分が同じ立場だったら、よく考えられないまま就職するだろうな、とも思っていました。
私の目から見た高卒就職とは
この辺りを話すのはすごく語弊を生む可能性がありますが、言葉を選びながら書いていきます。
はじめは「高卒就職する生徒は可哀想」と思っていました。理由は”高卒で働きたいと思って働いてる生徒”に出会わなかったからです。夏に仕事で模擬面接指導を行うのですが、高卒就職の理由を尋ねると「家庭の事情」と答える生徒が多かったです。それかやりたいことがないか、、。
本当は進学したいけど、お金がないから仕方なく就職した。
自分を振り返ると、家にお金がないなんて思ったことなかったし、高校卒業したら大学に行くものだと思っていました。だから18歳の口から「お金」がないという言葉を聞いてとても悲しくなりました。
身を粉にして働いた母親
私の家は片親でした。母親が見えないところで身を粉にして働いてくれていた。お金を工面してれたようです。父親が急死したので、とても苦労したようです。幼かったわたしには図しれないことです。
大学に行ってよかったことは、紆余曲折、試行錯誤、必要だと思うことを選択できる時間があること。自分の進路を考える時間があったことです。そして人、心理学、教育について学べたこと、そしてサークル活動を通して、色んな人間関係を築けたことです。サークルはボランティアサークルで児童養護施設や福祉施設で利用者の方と関わるボランティアをしていました。
経験と時間
これが高校生には足りないと、思いました。
モラトリアム=大人になるための準備期間
高校生なんてこれから、だと思っていましたがすぐそこに来ているようです。
納得できなかった高卒就職の制度
せっかく就職をするのだから、その選択が前向きな理由であって欲しい。そう心から思うようになりました。ただそのように思うことはできませんでした。
私がショックを受けたもう一つの理由は、高卒就職のルールです。
特に衝撃的だったことを書きます。
①一人一社制である(※時期や県によってルールは異なる)
②就職活動の時期が短い
③求人媒体が限られる(ほぼ求人票を使っている)
④給料が安い
⑤入社前会社見学の数が限られる
⑥成績によって、調整される
なんで高卒就職は制限が多いのか疑問だった
大学生の就職活動は、求人広告を出しているエージェントに登録して会社を探していくことが一般的です。就職難だと100社応募しました〜、という強者が出てくるほど(これは良いことではないですが)
高卒就職では、基本一人一社しか応募できません。一発勝負と言っても過言ではないと思います。「一社受けて内定でたら保留ができません」受かったらその会社にいきます。比較検討ができません。
入社試験を受けてしまったら、比較見当ができない。だったら、試験前に会社をたくさん見るべきですよね。だって「ミスマッチ」になってはいけないので。しかし応募前の会社見学は大体一人三社くらいしか見ないのが平均です。少ない学校は1社しか見学行かない生徒もいました。
果たして、比較検討もしないで、自分が働きたい会社に入社することができるのか非常に疑問です。そもそも知識がないから学生であるのに、その猶予期間、機会がないことが不思議でした。
成績によって左右される
どういうことか、まず求人枠というものがあります。一つに会社に入れる枠(入社人数)です。3人の枠しかない企業に、同じ学校から5人集まったらどうしますか?方法は2通りあります。①は生徒の本当の希望通り、3人しか枠がないけど、5人受けさせる方法です。市場原理の法則に従えばごく自然なやり方ですね。しかし高卒就職は1回目の試験を逃したら、いわゆるみんなが選ばなかった企業に受けることになります。先生としては1回目で受かって欲しいし、できばみんなの適性を見て就活できるように促します。
なので「成績」などを加味して、別の企業に促すまたは、別の企業に選択圧えをかける場合があります。
これは教育的観点からの行動です。みんな平等に良い就職先に進んでほしいと考えると、ある程度求人枠に沿って、求職者の数をならすことが必要になるわけです。
はじめのうちはこれがどうしても理解できなくて、「生徒を成績で決めるなんて」と思っていました。しかし、一番近くで生徒を見てきた先生だからこそ、やらなけばいけないことだったんだと思います。
高卒就職ルールの歴史
戦後、日本はアメリカの教育要素を取り入れながらも独自のルールを確立していきました。2年後の1947年には教育基本法、学校教育法が制定しました。アメリカでは、教師が高校生の就職を手厚くサポートすることはありませんでしたが、日本は1949年の職業安定法に教師が生徒の就職をサポートすることが明文化されることになりました。高度経済成長期になり、労働者の確保が重要視されると、高校生も立派な労働力として、社会のエコシステムとして、高卒就職も確立していきました。
②何がしたいの?
高卒就職の現状を変えたい。
高卒就職の現状を一人でかえるのは難しい。だから、高卒で就職に向かう学生が、自信を持って働きに出て欲しい。そして現状それができていない生徒がいる。それは下記3点が変えていきたい、と結論に至りました。
①時間の壁 →短い期間で就職活動をしなければならない
②情報機会の壁 →求人情報が限られている+一人一社、比較検討難しい
③発達段階の壁 →働くことという”情報”を受け取りにくい
最後の方に、現在考えている解決方法を書いていきます。
暗中模索の日々、もがく
高く志を持ってみたものの、何をすればいいか全く分かりませんでした。どこからせめて、何をして、どうすればいいかなんて全く分かりませんでした。なのでとりあえず、自分のやりたいことを、カタチにすることからはじめました。
ひたすら企画書を作る。
おそらく人に説明する時がいつから来るだろう、そう思ってひたすら思いをカタチにすることを始めました。
2年くらい前から、何をすれば現状を変えられるか考えていた。20時に仕事終わって、夜0時くらいまで調べて企画書をひたすら作っていました。
この頃は結構自分の中でもがいていました。結局こんな企画書作ってもどうやるんだ?誰が必要としてるんだ?。お見せするには恥ずかしい資料ですが、自分の軌跡を知っていただくには良い資料です。
資料を補足すると、高校生が擬似的に会社を作り働くことの本質を学んでいくというもの。企業に出資してもらう代わりにSNSを活用し、宣伝するという仕組み。
同時にSNSのマーケティングについても調べたりしていました。
もともとは教育の企画営業をやっていました。今のままでは社会のシステムを変えることができない。どうやって変える。そう考えていた矢先、授業ではなく、自分の時間を使って就職情報を集めればいいんだ、という発想になりました。
「時間の壁の克服」→授業だけではなく、自分の時間を使う
”授業の時間”に縛られるから規則が生まれるのであって、自分の時間に情報を集めればいいんだ、という考えに至ります。
高校生は何が好き?→スマホ→アプリ・・・
アプリ作ればいいんだ!!!ということで、転職を決意します。
30歳でIT企業に転職
いきなり飛んだ発想ですね。クレイジーです。
正直言って、こんな苦痛で不安な転職はあませんでした。売り上げが悪いわけではなかったし、営業成績も良い方でした。年収も100万下がりました。大好きな教育業から離れるわけで、先生たちに「高校生のためにアプリを作るからやめます!」と話すことができまんでした。決意はしましたが、不確実性が高かったし、30歳でITに転職して、しかもアプリって何考えてるんだ?と思われるのがおちでした。
先生本当に申し訳ありません。。。。。ちゃんと説明出来なくて悔しかったです。
断腸の思いで会社を転職、ITの会社に入社。 入社2週間で作りたいアプリをデザインしました。(デザインのみ)
無料アプリデザインツール『Figma』を使い、スマホと連動して見れるアプリのデザインを作りました。Adobeが一般的だと思うのですが、有料なので、こっちにしました。デザインの知識が全くなかったので「udemy」で動画学習しながら作りました。入社だったので、約2週間でアイデアをカタチにしました。
結構自分の中では完成度高くて嬉しかったです。
しかし、ここで地獄の日々を味わうことになります。
ちなみに30歳、IT未経験、転職考えてる方、まじできついんで本当にかくごした方がいいと思います。そもそもコード組むような仕事を任せることはない!!!!と思った方がいいです。そんな簡単なものじゃないです。私も半年間はITとは全く関係ない仕事をさせられる羽目になりました。コロナのため会社として契約がなく、自宅で仕事をする時間が非常に多い会社でした
この頃も、仕事終わって0時くらいまではプログラミングの勉強をしてました。
早くアプリを作りたいと。
ちなみに同期2人も未経験入社でしたが、とても優秀でした。
余談ですが、ECサイトをポートフォリオのために作ろうということになりまして、こんなかっこいいポートフォリオを作りました。私はこの頃なぜか営業の仕事をしていたので、コードを組む暇がなく、その代わりデジタルマーケティングの担当ということで裏方で頑張っていました。
ちなみにサイトのNOVICEは未熟者という意味で、階段(成長)することを前提にしたロゴになっています。
スマホアプリを作るのは厳しい環境だった
私自身この頃は本当はアプリを作りたいのに、作れない日々に絶望していました。なぜか営業の仕事をしていましたし、求人情報と全然違うじゃん!!!となり、何のために転職したのか?と自問自答してました。
泣きながら客席に営業に行ってました。
とにかくがむしゃらで、ITパスポート、VBA、GAIQ(グーグルアナリティクス)の資格を取ったりしました。しかし、正直現場で使えるレベルではありません。っていうか普通に考えて、この生活をしてたら5年くらいかかる、とわかり初めてたころでした。本当に絶望です。
就職したIT企業は「独立支援制度」がありました。社内起業OKという制度です。使った人は周りにはいなそうでしたが、いつかは今まで書いたようなことで社内起業したいと思っていました。が結局、アプリも作れないし社内起業も難しいそう、、、。
だったら自分で起業した方が早い!!と思うようになりました。IT企業は半年で辞めてしまいました。ここはすごく早い決断でしたね(笑)
ちなみに、短い転職でしたが、この半年で培った力は結構大きかったです。
ここから少し自慢ぽくなるので、必要なければ飛ばしてください!
もともと文系出身で理系のことはさっぱり!!と思っていたのですが、勉強すれば苦手意識はなくなるんだと思いました。アプリは最初kotlin(Andoroid)で作ろうと勉強していましたが、周りに触れる人がおらず断念。オンラインでjavaを習った後に、pythonを触ります。データ分析が楽しくなって、こんなことをしてました。売り上げが地図上に示されるプログラミングです。行き帰りの電車で統計を勉強しました。数学が全くわからなかったので、中学3年生のドリルをかって、因数分解からとき直しました。
アプリ制作はできませんでしたが、分析の先っぽだけでも知ることができました。それはすごく自分の自信に変わりました。
ITの会社を辞めて、起業、、、。ではなく結局転職する。
独立やらアプリ作りたいやら散々話していましが、IT企業をやめて結局別の会社に入社することにしました。本当は起業で一か八か、とも思っていたのですが、自己実現できる会社を見つけ、入社することができました。簡単にいうと、地方自治体と協力して、その地区の企業を支援していく、というお仕事です。もちろん社内的にも起業はOKなので、複業で起業しようと思います。
なぜ転職を決意したのか、のにはいくつか理由があります。
①確実性が欲しかった。(固定給がある)②に続く
②アプリは300万貯めれば作れる(自分の技術習得より早い)
③起業家は働くことに前向きである
④起業+経営が学べる
⑤副業(起業)ができる
こんな理由からです。特に今の仕事は、創業者の方とよく話をする機会があります。③についてはとても自分の中で大きくて、学生に仕事は辛い、大変だ、という意識を根本から変えることができる可能性があります。
先日も宇宙開発している企業の方と話す機会がありました。宇宙開発を民間でやる場合は、誰しもが「わからない」状態だというのです。失敗が大前提。できないが当たり前とのこと。しかし、情熱を持って諦めずに行うことで、宇宙にいけるんだ!!と話されていました。そんな方が世の中には多くいるんです。大人の方の話を聞いて、鳥肌がたつ経験をします。とても光栄なことです。
③どうやるの?
結局何がしたいのか??
高校生は、アイデンティティ確立の時期(エリクソンより)。自我同一性の確立、自分は誰か、何者かを作っていく時期。そして、仕事はアイデンティティの要素一つになりうる。
まず高卒就職の現状を変えるためには、
・企業が発する情報を教育的情報にデザインすること
・生徒の働く、という意識を変えること
・学校の先生と「伴奏」して授業を創造していくこと
が必要だと考えるようになりました。
①時間的壁と②情報機会の壁はアプリで解決できます(はず)
③発達段階の壁をどう克服するか。
これが一番大切だと思います。自分ごととして、仕事の情報をどう受け取るか。これは大人が発する仕事の情報が変わる必要があります。
モラトリアムの時期→自己確立→当然なりたい自分になりたい→仕事は自己実現のための道具である→教育的情報にデザインすること
仕事とは自己実現のためのツールである
一番やりたいことは先生と一緒に授業を作ること!
新学習指導要領で「カリキュラム・マネジメント」の重要性が書かれています。教育課程の計画。不確実性の高い時代を生きる生徒たち。今の大人が経験してこなかった時代を生きていくから、必要な「資質・能力」これをどう培っていくかが大切です。そのための計画。
「開かれた教育課程」が重要です。「開かれた社会」になることも重要です。学校は社会に出るための、基礎を養うところです。そしたら今まさに怒っている社会の情報が必要です。(ビジネスでも行うデータ分析も一緒です。現在のデータをまとめて、未来を予測することが大切です。)「今」、「現在」、「社会」、「現場」で必要な能力、知識、人間性を知っておくことで、未来を予測、だから「学校の授業が必要なんだ」と言えるんだと思います。
もともと学校の中に入り、先生と一緒に進路の計画を作っていました。時には一年生から三年生の進路計画を先生と一緒に試行錯誤し、より良い進路選択ができるように考えたこともありました。その仕事が一番楽しかったんです。熱い先生と一緒に、生徒のために何ができるか考える、そういう仕事を一生の仕事にしたいと考えました。
具体的なやり方については、今後じっくり書いていきます。私は社会で必要な力を教育的にデザインしたいと思っています。それはこれまでの過去からの経験と、そして今の状況から生徒が必要な力を伝えていきたいと思っています。これまで、仕事=辛い、大変という情報ばかりを話してきた気がします。しかしそれは一つの側面でしかありません。
先生方向けサイトを(こちら)
高卒採用コンサルタントについて
企業向けには、高卒就職でミスマッチをなくし、やりがいを持って働く人材を確保できるサービスを。こちら
いいじゃん。夢からはじめよう。
”やりたいこと”には勇気がいる。
できない理由はたくさんあるけど、だからなんだ。
ここからはじめよう。
学校で学んだことが,子供たちの「生きる力」となって,明日に,そしてその先の人生につながってほしい。これからの社会が,どんなに変化して予測困難な時代になっても,自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,判断して行動し,それぞれに思い描く幸せを実現してほしい。
文部科学省HP「学習指導要領 改訂に込められた思い」
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1383986.htm#section3
一人一人が持続可能な社会の担い手として、その多様性を原動力とし、質的な豊さを伴った個人と社会の成長につながる新たな価値を生み出していくことが期待される。
高等学校学習指導要領「総則編」平成30年7月
今誰かの夢や目標を笑ったとして、それは今の子供が大人になった時には実現できる可能性が非常に高い。2040年にはテクノロジーの進化で、映画やフィクションの世界だったものが実際の現実となります。
まずは、目標や夢を受容すること=いいじゃん。
そして夢を見ることから始めること=夢からはじめよう。