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こう見えたって働いてるのさ!|「フレデリック」レオ=レオニ(読書日記)

部屋に、1番好きな絵本を飾っている。
レオ=レオニ(谷川俊太郎訳)のフレデリックだ。

フレデリックを読んでくれるのは、決まって父だった。
他の本をリクエストしても、父はフレデリックばかり読み聞かせた。
絵本の中のメッセージを伝えたかったのか、父の1番好きな絵本だったのか。
私が部屋に飾っているフレデリックは、もともと父が誰かに買ってもらったものらしく、裏表紙にはでかでかと父の名前が書かれている。
読み聞かせてくれた時期もこの絵本は父のものだったのだけど、私が自分で文字が読めるようになると「大切にしなさい」と言って、私と妹の本棚に差してくれた。
このお下がりのフレデリックは私の宝物になった。

フレデリックはこんな話。
住人が引っ越してしまった牧場の石垣に住む5匹の野ねずみ。うち4匹は冬に備えて食料と藁をせっせと運んでくる働き者だ。ただ1匹、フレデリックはべつ。
どうして働かないのかと尋ねる仲間たちに「こうみえたってはたらいてるよ」と答えるフレデリックは、丘の上に寝転び目をつむっている。曰く、集めものをしているらしい。
冬が来て石垣に籠る野ねずみたち。一生懸命に働いた甲斐あり、食べ物はたくさんあったが、そのうち食べ物は尽きて空腹と寒さで野ねずみたちは辛い日々。
ふと思い出し、「君の集めたものはどうなった?」とフレデリックに聞くと「目をつぶってごらん」と話し出す。
おひさまの光のこと。春や夏や秋の鮮やかな色のこと。
それを聞く野ねずみたちは、光を感じ色を見る。
最後に言葉のこと。まるで舞台俳優のように詩を披露するフレデリック。
野ねずみたちの心は満たされ、喜び、讃える。
フレデリックは照れて言う。「そういうわけさ」

3年ほど前、会社勤めにつまづいて仕事を休んでいた頃。
当時四国に住んでいた妹が「しばらくうちに来ない?」と言ってくれたので、1週間ほど居候することにした。
瀬戸内の気候は気持ちがよく、知らない土地で目に入るものは新鮮だった。日当たりの良い窓際で昼寝をしたり、散歩をしたり、公園で本を読んだり、美術館に行ったりして過ごした。特に四国には素晴らしい美術館がたくさんあって、妹を連れ出しては作品に宿る生命力を称えて歩いた。

アートの島・直島へ行った帰り道、フェリーの中で妹が言ってくれた。
「お姉ちゃんは働いていないって自分を責めるけど、お姉ちゃんの心はいますごく働いてると思うよ」と。
その通り、私は四国に滞在してるうち心が働いているのを感じて少し元気になっていた。生きてるなーと思えた。

名古屋の自宅に帰る別れ際、高速バスのターミナルにて妹が「バスで食べなよ」と紙袋をくれた。フレデリックの絵が書いてあった。驚いたのは、私もフレデリックのことを思い出していたからだ。(滞在中、フレデリックの話は一度も挙がっていなかった)温まれる物事を集めておけば、寒くて辛くなってしまった日々を慰められると思って。
妹がフレデリックの絵を描いた真意は分からないけれど、こんなに豊かで優しい心を持った人が私の妹であることが誇らしくて嬉しくて、抱きしめてから別れた。


そして、話は昨日。
夫と現代アートの企画展を見に行った。
豊田市博物館の「しないでおく、こと。ー芸術と性のアナキズム」だ。
地球上にいる(過去にいた)たくさんのフレデリックたちの作品にくらったので、読み返して日記にしてみた。

本展では 芸術と社会にどっぷりと関わりながらも軽やかに抵抗・逃走し、あえて「しないでおく」ことの可能性も含めて生き、創造する人々の実践を紹介します。

豊田市美術館公式サイトより


改めて読んで1つ思ったのは「フレデリックだって仲間の働き者の野ねずみたちが食べ物や藁を集めてくれなかったら、冬を越せずに死んでしまっていただろう」ということ。
働き者の野ねずみたちはフレデリックとの感性と想像力に救われたし、フレデリックは働き者の野ねずみたちがいるから感性を磨けた。
両者の生き方は違うけれど、お互いがお互いを必要とし合っている。どちらかだけでは、心か身体が先に死ぬ。
自分のできることでいいのだと、勇気をもらう。

私は芸術を必要とする人間だ。小説やアートや音楽から元気をもらっている。
それらがこれからも存在し続けるには、どんな環境が必要かと考える朝。
経済的な豊かさはそうだろうが、その狭間に抜け落ちるものが抜け落ちて大丈夫なものかを想像する朝。
答えはまだ見つかっていない。見つからないまま、選挙へ行った。

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