私も小さき者ですので|家守綺譚「梨木香歩」(読書日記)
雨が降っているので、家守綺譚を読むことにした。
親友を亡くした綿貫征四郎という男が、その親友が住んでいた家に住む話だ。四季折々の自然と共に、不思議な現象が次々に舞い込んでくるんだけど、征四郎はなんでも超然と受け入れる。
例えば、庭のサルスベリの木に恋されちゃったりしても「それは迂闊だったなあ」なんて頭をポリポリ。掛け軸に描かれている湖から亡くなった親友(高堂氏)が出てきた時も「どうした高堂」なんて言う。
流石に腰を抜かしてしまうでしょ〜って思うことも征四郎からしたら「そういうこともあるのだなあ」と感嘆する程度なのだ。ちなみに亡くなった親友の高堂は、ボートに乗ってあちら側の世界からやってくる。雨の降っている日はこっちへ来やすい日なのだそうだ。
だから私は、特にやることのない雨の日にこの本を読み返したくなる。
征四郎は謙虚だ。確かにこんなに自然に囲まれて生きていたら自身を小さき存在と自負して生きていけるのかもしれない。
特に好きなエピソードで、あちらの世界の住人にブドウを勧められたのに(そのブドウを食べるとずっと憂いなくいられるらしい)「私の精神に合わない!」ときっぱり断って立ち去ったあと、強く断りすぎちゃったなあと思ってやっぱり戻ってくるというのがある。
戻ってきた征四郎はあなたを否定するつもりは無かったと謝った上で「自分に酔って勢いをつけないと誘惑に負けそうだった。失礼な態度だったと思って戻ってきた。言葉足らずでゴメン」という旨のことを言う。(※本文はもっとかっこよく書かれている)
こういうことを素直に伝えに戻れるって、素敵な人柄じゃない?そして「自分には今やるべきことがあるからダメなんだ」って誠意を持って言うんだよ。はあ、謙虚な姿ってかっこいいなあ。
正直、社会人を数年やってみて謙虚に生きて何になるんだという思いはあった。
だって、謙虚に生きたら調子が良い人たちに都合よく利用されてしまうじゃないかって。弱肉強食は世の理、出る杭打たれてなんぼのものじゃろがいって。
どうもこれが違ったかもしれない。謙虚はへり下ることってイメージを持っていたのだけど、自信が無くなって改めて辞書を引いてみることにした。
「自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること」とあった。それだ!と思った。辞書を作った人にリスペクトを送りたい。私がイメージしていたそれは「卑下」に近い感じで間違ってた。
周囲の人たちから嫌われないために謙虚になるんじゃなくて、自分が面白く感じながら生きていくために謙虚でいたいなと思った次第です。
そんなことをのたまう私は、HIPHOPが好き。いいの、人間矛盾を抱えた生き物なんだから。
でも、もしも「本心じゃないんだけど、自分を強く保つために勢いで強い言葉を使っています。失礼な態度で恐れ入ります」って内容のリリックを書いてらっしゃるラップスターがおられましたら、推しにさせて頂きとう存じますので教えて下さい。