アベンジャーズによる短編集だよね?|「チーズと塩と豆と」角田光代・井上荒野・森絵都・江國香織(読書日記)
いつ買ったのか思い出せないほど長らく積んでいたこの本を読んだら、とても素晴らしく余韻に浸っている。
角田光代さん・井上荒野さん・森絵都さん・江國香織さん、それぞれがヨーロッパの国々を訪れて書いた短編小説のアンソロジーなのだけど、待って豪華すぎ。こんなのさ、作家界のアベンジャーズじゃん。素敵が桁チ(桁違い)じゃん。
角田光代さんは、「スペインのバスク」にて。
故郷を離れて旅する料理人となった女性のライフワークと家族のお話。
トップバッターの作品なのだけど、私はこの時点で胸がいっぱいになり泣いてしまった。(以降の話はずっと涙流しながら読んだ)
家族と食べていた食事は、人生の伏線になるとかねてから思っている。回収されるタイミングは人それぞれに違うだろうけど、幼き自分の命を繋いだ食事が今と無関係なわけがない。きっと繋がっている。26歳になった私は毎日キッチンに立つようになったが、母や祖母によって私の身体にインストールされた何かが料理を作る原動力になっていることに気づく瞬間がある。月に何度か。言うまでもなく料理は大好きだけど、食事を作るという習慣は私にとってマインドフルネスの時間でもあるのだ。そういう思想を持っている私にとって、この角田さんの作品は大変勇気をもらえる内容だったわけです。感謝。
井上荒野さんは、「イタリアのピエモンテ」にて。
意識の戻らない30歳年上の夫へミネストローネを作り続ける日常の話。
この話はエロティックで情熱的で、呼吸が浅くなるほど夢中で読んでしまった。
イタリアへの憧れがさらに募ってしまう。行ったことはないのだけれど、イタリアの文化へ強いリスペクトを持っている。特に今回の舞台になったような郊外の暮らしは性格の中心に食卓を囲うファミリーの時間があっていい。
主人公が乗っている車は「赤色のフィアット」なのだけど、ちょっといい感じになる男の子から「ミネストローネ色のフィアットだ」って言われるシーンがあり、きゅんとした。食べ物の色に例えられるときゅんとしてしまうのはなぜだろう。私も誰かをきゅんとさせてやりたい気分ときに使わせてもらうとする。
森絵都さんは、「フランスのブルターニュ」にて。
豊かな土壌とは言えない土地で、「生きるための食事しか認めない」家庭で育った青年の話。
生きるための食事とは身体を維持するための最低限の食事のことで、簡単に手に入る食材をシンプルに調理したものを毎日同じ献立で食べ続けるようなこと。日本人にはかなりキツイのではなかろうか。私には無理です。チョコレート食べたいもん。
そんな家庭で育った青年が何者になっていくのか、期待を込めて読んでほしい。私は青年に拍手を贈りました。物語に出てくる黒麦はソバのことで、私の故郷でもソバを栽培していた。初夏に花をつけるのだけど、その花畑の見事な様子を思い出しながら読んだ。
江國香織さんは「ポルトガルのアレンテージョ」にて。ゲイの恋人たちが旅行で訪れた田舎町のリゾートコテージ。お互いに完全には分かり合えないと悟りつつも、愛し合う2人の様子が尊くて心が満ち満ち。愛し合っているなあってどこから伝わってくるのかというと、会話なんだよね。運転中の1コマ
このやりとり、いつもしてるんだなって思う。(作中では2回やっていた)
あとはこの文章。この作品の素敵なところが特に凝縮されている。
キーワードのように「ここはアレンテージョなんだから」というセリフが出てくるんだけど、それってどういう意味なのかい?アレンテージョのことをもっと知りたくなった。出来ればこの目で、見てみたい。
これまでに読んだアンソロジーの中でもダントツに素晴らしい一冊だったから、次は母か友人に渡そうかと思っている。
美しい異文化の世界を旅したような気持ち。まだ余韻でうっとりとしている。
ヨーロッパ周遊やってみたいけど今はまだ本の中で、ね。