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26歳地点の幸福論|「ニューヨーク、雨でも傘をさすのは私の自由」仁平綾(読書日記)

9年間ニューヨークで暮らしていた、仁平綾さんというライターの方が書いたエッセイ。
だいわ文庫から出ている「読んで旅するよんたび」というシリーズを書店で見かけて購入してみた。

映画とkemioくんのYouTubeでしか見たことのないニューヨークの生活。
本を読むまでは、みんながそれぞれ自分のドリームを持ちギラついてる街というイメージを持っていた。
我の強い人たちが住む街で自分とは無縁、そんなに憧れはしない。そういう考えに変化の生まれた本だった。

いいなと思った部分はいくつかあるが、1番いいなと思ったのはニューヨーカーの対人スキル。街中で見知らぬ人に服装を褒める等、海外特有の軽い声の掛け合いは言わずもがなイケているんだけど、揺るがない自分自身を信じながら他人をリスペクトして生きるバランス感覚が読み取れて「新時代を牽引する市民たち…!」と感服した。

セネガル出身、マンハッタンのベーカリーで働くアマドゥがこんなことを言っていた。

Sharing and giving; that’s our tradition.(分かち合い与える。それが僕らの習わし)
<中略>
人間っていうのは貪欲でいつになっても満足しないんだ。馬鹿げてるよ。
大切なのは、どれだけ与えられるか、お返しができるか。
Once you give, you’ll be happy.(人は与えることで幸せになれるんだ)

「ニューヨーク、雨でも傘をさすのは私の自由」より

こういう生き方ができる人は誰かの特別な人となる。

私にも、これと似たようなことを教えてくれた友達・ユーカリがいる。
ユーカリは見た目がすごく良い。美しい顔の造形、手足がスラリと長くてスタイル抜群。選ばれし人にのみ似合うオシャレな服を着て、大学のキャンパスを歩く姿はまさにマドンナ。みんなの憧れの的だった。

私も例に洩れず(わー素敵。友達になれたらな)と思っていたが、声をかける勇気がなくて遠巻きに目で追うのみだった。
そんなユーカリとゼミが一緒になった。ゼミでは週に1度、研究や制作物の進捗をプレゼンテーションスタイルで報告し合うのだが、ユーカリは1人1人のプレゼントのあとに挙手をして必ずコメントを言うのだ。
「〜な気持ちになった」とか「〜な部分が1番好き」とかの軽いコメントの時もあれば、着想のバックグラウンドやコンセプトを深掘って質問をする時もある。
勝手に(高嶺の花のマドンナは受け身な性格だろう)と思い込んでいた私は衝撃を受けたし、思慮の浅さを恥じた。ユーカリは見た目お姫さまだけど、チヤホヤなんて少しもされたくなかったのだ。

(友達になりたいのに勇気がなくて声をかけられない)なんて思っていた私の壁を無視して
「そのコート似合いすぎてんねんけど。妖精みたいやな、雪ん子ちゃん!」
「学校来る途中、カルディで生ハム買ってきたねん。割り箸2つもらってきたから一緒に食べへん?(教室で生ハムを広げている)」
めちゃめちゃ話しかけてくる。私たちはすぐに仲良くなった。お互いの作品作りを手伝い合って、旅行に行って、同じインターンに参加した。
どこへ行ってもユーカリは人を笑わせ喜ばせる天才だった。

ユーカリは広告代理店、私はテレビ局に入社して、日々の忙しさから連絡が途絶えてしまった時期もあったが、ある日ユーカリから突然プレゼントが送られてきた。(ukaのリラックスセットだった)
「住所も伝えていなかったのになんで!?」と電話してみると、「インスタで妹ちゃんと繋がって、DMで住所聞いたねん〜最近忙しそうやけど大丈夫??」と言う。
あなたの行動力と精神力はどこから来るのかと泣き笑った。
ちなみに妹は届いたDMから詐欺を疑い、お姉ちゃんと友達だっていう証明をしてくださいと言い放ったらしい。ユーカリは怪しいもんじゃないんですと妹の質問に答え続けたという。面白すぎる。

ユーカリと出会って、「声をかける勇気がない」とか「小さな褒め言葉や愛情表現が恥ずかしい」とかそういうことを考えていた私は、自分のことばかり考えていたんだなと反省した。彼女に出会ってからはや8年。
「目の前の相手が喜ぶことに比べたら、自分がどう見えるかなんて瑣末なことだ」と思わされたのだ。

失敗は今だって尽きず起こるけれど、大切な友達たちや愛する夫が私を幸せにしてくれる何もかもをキャッチして、私も周囲の人たちへ同じことをしたい。
【されて嬉しいことを自分がやれる場所へ行く】
これが、私なりの幸福論。

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