空白を埋めるもの~『エリック』と『ミッシング』
大切な人が突然いなくなる、という出来事がトリガーになる作品は古来より多いが、今年は特に顕著な気がしてならない。それは例えば「四月になれば彼女は」のような婚約相手が突如姿を消すものであったり、公開を控える黒沢清の『蛇の道』のような子供を殺されるというものであったりと様々であるが、特に今年において印象的なのが"子供"が“突如姿を消す”作品である。
誰かを恨むこともできぬまま宙ぶらりんにされる感情。また子供という純真の象徴を突如奪われる恐ろしさ。全てを容赦なく奪い去る巨大な戦争の影がすぐそばで並走するこの世界が抱える不安を形にしているようにも思えるこれらの作品群。本稿ではドラマ「エリック」と映画「ミッシング」を取り上げ、その途方もない空白とどのように向き合うのかについて考えてみたい。
自身の闇を知る「エリック」
ベネディクト・カンバーバッチが主演を務める英国発のNetflixドラマ『エリック』。全6話をかけて、1人の少年の失踪事件を追う作品である。
本作で子供の失踪に直面する主人公ヴィンセントは自分自身が多くの問題を抱える。突出した芸術的才能によって世間を渡り歩く人物であり、情緒不安定でありなかなか他者を慮ることができない。同僚や妻との諍いは絶えず、自分の息子に対する接し方も手厳しい部分がある。エドガーの失踪の日にもトラブルがあり、その出来事もあり強い罪悪感を抱えることになる。
そうした後ろめたさを他者にぶつける、視聴者には嫌悪感を抱かせるような人物としてヴィンセントは描かれるが、同時に彼もまた自身の圧迫感のある父親との関係性に悩み、苦しんでいた。そして、精神的な疾患も抱え、長い期間に渡って精神的な治療を受けていたことが示唆される。エドガーの失踪によってアルコール依存が加速し、"エリック"の幻覚を視るようになる。
エリックは幻視であり、妄想であり、ヴィンセントの病的な部分の具象化なのだが、同時に自分自身の心の奥底にある叫びを代弁する役割を果たす。目を逸らしつつも本当は自分自身が最も悪いという事実に気づいており、その自責の念が彼に変化をもたらす。性格やトラウマなど関係なく、何としてでも子供は守られるべきという親としての真っ当な事実と直面していくのだ。
本作において、子供が去った空白を埋めるのはありったけの贖罪しかなかった。根拠のない奇異な執着に思えた"エリックをテレビに出す"ことも大きな意志を持って果たされることになる。自分自身の内なる闇を知り、暗い部分を自ら纏い、謝り、変わろうとする。自分の深層部へと辿り着き這い上がる。ヴィンセントが地下から地上へ上がるシークエンスが印象的に見えた。
本作は以上のような精神世界の描写もあるが、同時に失踪事件を追う刑事のエピソードも中心にある。80sのNYにおける目に見えづらい深層部、つまりアンダーグラウンドが事件を撹乱し続ける。排除し、隠され、"闇"とみなされる部分。それが人の心に何をもたらすのか。明確な悪意も、押し付けられた"悪"の顔も混ぜ込まれた街の存在が最後まで恐ろしく思える作品だった。
他者との壁を知る「ミッシング」
石原さとみの主演映画『ミッシング』。本作を手掛けたのは「空白」「神は見返りを求める」など捻じれる他者関係を描く吉田恵輔監督である。
本作で子供の失踪に直面する沙織里も豊も、特別に大きな問題を抱えている人物には見えない。ゆえにその失踪は理不尽な出来事として強く印象を残す。手掛かりもないまま3ヶ月が経ち、ビラを配る以外に自分たちに出来ることはない。「砂田さんの言う通りにしてれば絶対に見つかる」という何の根拠もない言葉に示される通り、すがる対象もその理屈も失いつつある。
失踪や行方不明など、大切な人を突如として失うと人はその別れに決着がつかず、悲しみきることもできなくなる。これを“あいまいな喪失”と言い、これは大きな苦しみを残された人々にもたらす。未来に希望は持てず、アイデンティティも揺らぎ、生活の全てが怒りと苛立ちに埋め尽くされていく。挙句、取る行動はどこかズレたものになり、"見世物"になってしまうのだ。
本作に一貫して描かれるのは、画面上の悪意、遮音される叫び、埋まらない温度差といった様々な隔たりである。全てがオープンにされ、SNSで簡単に消費されてしまう"悲劇"。テレビ局は沙織里に寄り添いつつも、良い画を撮るという目的を深層に隠し持つ。警察もまた情報を社会正義のためにコントロールする。そこには他者との壁という逃れられない現実がそびえ立つ。
本作で子供が去った空白を埋めるものは徐々に移り変わる。中盤まで、沙織里はSNS上の自分達への悪意に自ら晒されようとし続ける。この自罰的な振る舞いこそが、心の空白を埋める行動だったように見える。しかし、"娘とは違う別の子が行方不明になる"という事態によって喪失との向き合い方が変わる。全力で他者の子を探し続ける行動が沙織里たちに変化をもたらすのだ。
画一的な救いなどは決してなく、しかし確かに"あいまいな喪失"を受け止める瞬間がこの映画には描かれる。他者の苦しみの為に全力を捧ぐことの先、暮らしの中で軽口を叩くこと、悪口をこぼすことといった雑然とした営みの先、不意に訪れる"いるかもしれないし、いないかもしれない"という事実をなだらかに共有できるその瞬間に向け、なけなしの祈りを捧ぐのだ。
子供が生まれてから観るこれらの作品の切迫感は凄まじく重たい。もうしばらく経てば、積極的には観なくなってしまう作品なのかもしれない。あれこれ述べるよりも前にまず子供を抱きしめたくなる。そんなありきたりな愛情表現がいかに尊いものか。本当の感情ととともに届けてくれる作品たちだ。
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