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1つのサクセスストーリーとしての黒沢清『Cloud』【映画感想】

黒沢清、今年3本目の新作映画『Cloud』。転売屋の男が知らずに周囲から反感を買い、いつしか恐怖の渦中へと引きずり込まれるという物語で、薄気味悪いサスペンススリラーなのだが、どうにも妙な高揚感が止まらない作品でもあった。

この物語を味わい直してみると、おかしな部分も多々あるのだが極めて王道で、ある種のサクセスストーリーを描いているように思えた。暴力と恐怖の連鎖による精神の成長譚という切り口で、ユング心理学を用いつつ本作を掘り下げてみたい。


劣等感コンプレックスの闘争

主人公の吉井良介(菅田将暉)は何1つとして楽しそうに過ごしている様子を見せない。転売はラクして金を稼ぐための手段であるが、地道かつリスキーでもあるため実際はラクなものではないという事実に直面している。しかしそれ以外に自分の生活を成り立たせることができずに行き詰まる。

他者の欲望を横取りして金を稼ぐ。吉井は資本主義を操る側でいるつもりだが結局のところ実際はその仕組みに操られているのは自明だ。ただ彼はそこから目を逸らす。基本的には淡々としている吉井が先輩・村岡(窪田正孝)に自分の調子の良さをアピールするシーンで彼の焦りが垣間見える。

これはユング心理学でいうところの劣等感コンプレックスの表出であろう。自分がやむをえず転売に手を染めており、世間一般から見れば仕事人としては明らかに劣っていることを認めきれず、無意識のうちに攻撃性として析出してしまうこのコンプレックスは彼が向き合うべき課題と言える。

そして吉井をつけねらう集団もまたそれぞれが世界の仕組みに踏み躙られ、それぞれが劣等感コンプレックスを抱えている。多くの人々が共有する無意識=集合的無意識(これもユング心理学だ)が発露され、資本主義そのものへの憎悪が今回に関しては吉井へ向き、吉井は攫われることになる。

映画終盤はそれぞれが無意識に抱える劣等感コンプレックス同士の闘争と言える状態へと陥っていく。言うなれば資本主義からこぼれ落ちたものたちによる、やるかやられるかの殺し合いである。集団は守るべきものもないノーリスクな連中でかなり不利だが、吉井はこの窮地からのし上がる。


突き抜ける自己イメージ

吉井を窮地から救い出すのは、転売業のバイトとして雇った若者・佐野(奥平大兼)だ。なぜか拳銃での戦いに精通する佐野の協力を経て、半ば強引に吉井も銃を持つことになる。佐野を助けるため反射的に1人を撃ち殺した後、吉井は2人の人間を銃で自らの意思をもって殺害することになる。

1人目は吉井が働いていた工場の社長・滝本(荒川良々)。彼は言うなれば、吉井の表側の社会的人格における父親的存在であり、吉井を自分のような勤勉さの側に引き寄せて会社の所有物にしようとする。吉井からすれば仮面を被っている姿の側へと自身を固着させようとする支配的な人物だ。

2人目は先述した転売業の先輩・村岡(窪田正孝)。彼は言うなれば、吉井の裏側の社会的人格における父親的存在であり、転売がうまくいかなくなると吉井を怪しい投資などに誘い込もうとする。吉井からすれば、"こうはなりたくない"というイメージとして内面化されている人物だ。

ともに吉井にとっての社会を象徴する存在で嫌悪しつつも、その場所にいることを強いてくる足枷のようなもので、"自分はこうなのだ"という自己イメージを決定づけてもいる。その2人を思いがけず手に入った暴力で破壊することによって、自己イメージを突き抜けて成長していくのだ。

自分を縛り付けるどころか抹消しようとしてくる敵を、恐怖に打ち勝ちながら自ら手を下すことによって結果的に抑圧からの解放へと繋がっていくこの展開。父親的存在を乗り越えて、次のステージへと進んでいくという点でも『Cloud』は王道の成長譚のストーリーテリングを取っている。


トリックスターの男

ここで重要になるのは佐野の存在だ。単なる吉井の小間使いとして登場したはずが、吉井を救い、銃という力をもたらすことになるこの男。彼はここまでの闘争の原因である資本主義ルールの外側から現れた人物であり、目的などは不明ながらも大きな外的要因を象徴する存在と言えるだろう。

ここまで扱ってきたユング心理学になぞらえるならば、佐野はトリックスターを担う存在だ。トリックスターとは心の中の秩序の破壊者で創造者、行き詰った状態を突破する役割を果たす元型(人類共通の心の動き)である。佐野は吉井が無意識に求める現状打破の願望に呼応して現れたのだ。

佐野は吉井を邪魔する存在を全て排除する。一見、劇中で唯一の“愛”や"信頼"のように見えた吉井の恋人・秋子(古川琴音)の嘘を見抜き、冷静に殺害して現実を見せつける。彼女の死は吉井に涙をもたらすことになるが、場面はすぐに切り替わる。もはや"愛"や"信頼"には戻れはしないのだ。

本作のラストシーン、そのやり取りはこうだ。

佐野「吉井さんは金儲けのことだけ考えていてくれればいい。あとのことは全部俺がやりますから。きっと世界の人を破滅させられるものも手に入ります。」
吉井「ここが地獄の入り口か」

トリックスターとは本来、心の内側の願いと凝り固まった外側の人間性を繋げることで新たな状況を作り出すものだが、吉井は表も裏も金を儲けることしか願いはなく、金を儲けた先に何を求めてもいない。内側も外側もさほど大差なく、大きく飛躍することもない。それゆえのこの台詞だ。

前半の不気味なサイコスリラーも、後半の人が一線を越える瞬間を描いたガンアクションも怖い。しかし最も怖いのは"サクセスしたところで何を得たかったのか分からない"や"資本主義の外側から力を得たが、やはり資本主義に縛られている"という現代的な空っぽの苦しみの存在だ。

サクセスストーリーを成したとしても、これ程の地獄を見せることができてしまうのが『Cloud』の本質的な恐ろしさだ。本作はのように曖昧だが確かにそこに浮かぶ得体のしれない不穏を掴み取った映画だと思う。こんな作品を"エンタメ"と銘打つ黒沢清の怖さに身震いせざるを得ない。


【参考文献】
山中康裕「臨床ユング心理学入門」(PHP研究所)


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