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かおり
2024年7月29日 17:44
秩父鉄道野上駅から一番近い寺院が、ここ臨済宗総持寺になる。普光山総持寺は、四条天皇の御代、天福元年(1233年)に、法燈国師により開創され、ご本尊は、大聖文殊菩薩、国師の自影自作であると伝えられています。俳人の金子兜太さん菩提寺。又、秩父七福神巡りの1つでもある。ここ総持寺は福禄寿のお寺だ。普光山総持寺は、天福元年(1233年)四条天皇の御代に、法燈国師に依り開創され、ご本尊は大聖文殊
2024年7月28日 20:30
法善寺も野上駅近くにある長瀞町秋の七草寺の1つだ。法善寺は、山号を金嶽山と称し、武州鉢形領男衾郡甘粕村泉福寺末と古書に記されている。本尊は阿弥陀如来で、他に廃寺となった金龍山妙音寺の本尊であった十一面観世音も安置されている。開基は、初代天神山城主藤田右衛門佐康邦で、康邦は同時に寄居町の正龍寺も開基した。藤田氏の所領は、秩父白鳥郷と藤田十六郷で、後に北条氏康の三男の氏邦を養子に迎え、自らは花園
2024年7月27日 00:09
秩父と言うと、札所34ヶ所廻りが有名ではあるが、長瀞町はそこには加わってはいない。隣の皆野町までだ。そんな長瀞町は、秋の七草寺巡りがあるのだ。秋の七種類の草。萩(はぎ)の花、尾花(おばな)、葛(くず)の花、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、それに桔梗(ききょう)を加えたのが秋の七草。長瀞七草寺は、この秋の七草が一ヶ寺ごとにあり、たんねんに手入れがいき届き、参拝者は
2024年7月26日 10:35
裏鎌倉。休日でも人はいないし、見所多い!こちらの大慶寺は山門の茅葺屋根が目を惹く。大慶寺は鎌倉市にある臨済宗円覚寺派の寺で霊照山(現在は霊松山)と号します。創建は弘安年間(1278~1287年)と伝えられていて、ご本尊は釈迦如来像で鎌倉市文化財に指定されています。境内には樹齢700年と伝わる柏慎(びゃくしん)2本(市天然記念物)、宝篋印塔2墓(市有形文化財)があります。 大慶寺の歴史は古く、室
2024年7月23日 11:20
鎌倉は常に混んでいる。多くの人はそんなイメージを持たれていると思う。だが、しかあし!!裏鎌倉と呼ばれる数か所。歴史好きが行くと楽しめる所であるし、休日であるに関わらず観光客が全くいないのだ。写真撮影が楽過ぎる。大船駅から湘南モノレールにゴイゴイスー!江ノ島に行く時には、大船駅からモノレール!が一番速くて楽で、しかも混んでいない。江ノ電と小田急は混みすぎ。だが、こちらの湘南深沢駅は通
2024年7月16日 00:17
定願寺は縁起書によれば、伝教大師が弘仁6年(815)に 東国を巡礼された折に開基されたと伝えられている。 その時、一夜の宿を求めた夫婦に阿弥陀仏を彫って与えたという伝承もあり、 山号の「順禮」は夫、院号の「修徳」は妻の名前と言われている。 また、弘仁11年(820)に弘法大師がこの地を訪れた際、 阿弥陀如来像を刻んで、伝教大師の仏像を胎内仏としたとされる。 これが現在の本尊である。 以後、不断念
2024年7月11日 12:01
栃木県下野市薬師寺。地名がそのままお寺の名前だ。そういう土地は全国に幾つもあるだろう。例えば、福岡県太宰府市の観世音寺もそうだ。東戒壇の跡を見ようと下野薬師寺に行ったのだが、駅からの途上で突然目の前に現れた十一面観音菩薩に驚愕したのだった。え?ここ、パソコンで事前に調べた時には出て来なかったんだけど。聞いてないよーー。机上の空論、現場百回と誰かが言ってました。(上川隆也さん風に)
2024年7月10日 00:58
奈良時代、僧侶になるには大変であった。それは何冊もの本やネットで知りえた情報であるが、先月、九州に行き、五木寛之先生の著書から「3つの戒壇」の存在を知ったのだった。仏教が隆盛するに伴い、様々な問題も現れ始めます。まず、僧侶としての戒律を守る者が少なくなってきたこと、そして、生活の苦しい多くの庶民が、税を免れるために、勝手に出家し僧を名乗るようになってきたことです。これに困った朝廷は、正式に僧侶
2024年7月7日 21:27
鬼平犯科帳ファンにはたまらないなあ。隅田川沿い。ここ、弥勒寺はロケ地でもある。墨田区にあるここ「弥勒寺」は、映画『鬼平犯科帳』(1995)でしばしば登場するスポット。真言宗の関東触頭江戸四箇寺のひとつです。原作小説では特に重要な舞台のひとつとなっています。山門の向かいには、お熊婆さんの茶店「笹や」があります。弥勒寺(みろくじ)は、東京都墨田区立川にある真言宗豊山派の寺院。本尊は薬師如来で
2024年7月6日 17:36
両国と言ったら、国技館!国技館とは逆の方向に歩く事しばし。浄土宗回向院だ。山号は諸宗山。正称は諸宗山無縁寺回向院。墨田区本所地域内に所在していることから「本所回向院」とも呼ばれている。振袖火事(ふりそでかじ)と呼ばれる明暦の大火(1657年(明暦3年))の焼死者10万8千人を幕命(当時の将軍は徳川家綱)によって葬った万人塚が始まり。のちに安政大地震をはじめ、水死者や焼死者・刑死者など横
2024年7月5日 19:55
最近、又?池波正太郎先生の「鬼平犯科帳」に凝り始めた。でもって、付箋を傍に置き、登場する寺や神社をチェックしているのだ。鬼平犯科帳って、時代劇でもあり、ミステリーでもあるんじゃあないかのおお。と思っている。長谷川平蔵の推理力も面白い。そんな鬼平犯科帳を読みながら知ったのが深川の正源寺だ。寛永6年に、深川猟師町冨吉町(現在地)に創建された浄土宗の寺院。創建当時は、埋め立ての直後であり、