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私の百寺巡礼

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五木寛之先生は70歳を過ぎてから百寺巡礼をされた。日本の寺院の多くは車が入れない険しい石段を登る事で辿り着く。横浜辺りの寺も、ちょっとした坂の上で、わざと車が入れないようにしてあ…
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2022年12月の記事一覧

源頼朝の息子が創建 横浜市南区 高野山真言宗・南龍山無量寺 私の百寺巡礼73

源頼朝の息子が創建 横浜市南区 高野山真言宗・南龍山無量寺 私の百寺巡礼73

源頼朝の息子が創建したお寺。と聞くと、
「政子の子供???」
と思う人がいるかもしれない。
源頼朝の側室、大進局の生んだ子、源貞暁が創建したのだ。

失礼ながら、横浜市南区蒔田と言えば、今や、「大山ねずの命」という、おかしな新興宗教がかなりの土地を買い占め、幅を利かせている。それは、まるで、奈良県天理市における天理教のようだ。
私は、こういった熱狂的な宗教が怖い。
そんな中にあって、鎌倉時代に創建

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同行二人を知るお寺 横浜市西区 高野山真言宗・法亀山願成寺 私の百寺巡礼72

同行二人を知るお寺 横浜市西区 高野山真言宗・法亀山願成寺 私の百寺巡礼72

ここのお寺は、もう10年以上前から知っている。ただ知っているだけで、それほどは気にもせずにきた。

弱い己に嫌気がさし、結局、家族のいる日曜日は家にいられない、と。
そんな中で辿り着いたのがこのお寺だった。
そして、こちらが真言宗の寺院であることを今更ながら知ったのであった。

夏と冬では趣が違うのも、自然を大切にしている日本の寺社仏閣ならではの素晴らしさだ。

実際に訪れたから知る事で感謝 横浜市磯子区 浄土宗東方山薬王寺 私の百寺巡礼71

実際に訪れたから知る事で感謝 横浜市磯子区 浄土宗東方山薬王寺 私の百寺巡礼71

12/25(日)は、磯子区の寺社仏閣を歩き廻ったのだが、沢山廻った神社は全てが無人であった。
そんな中、こちらのお寺の住職には、快く御朱印を頂き、磯子区周辺の事についても教えていただいた。

薬王寺の開創は、鎌倉末期の元弘三年(一三三三年)この地、矢部野村に建立されたと伝えられ、鶴慶等大和尚(永正一六年入寂)が中興開山となった後、元禄の世、武州・深川・霊岸寺の沙門・梅山が再び中興を発願して浄土宗に

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心優しき住職に修行僧にハスキーちゃん 横浜市西区東福寺 私の百寺巡礼70

心優しき住職に修行僧にハスキーちゃん 横浜市西区東福寺 私の百寺巡礼70

実は私は以前はキリスト教会に通っていた。
だが、カトリックにしろプロテスタントにしろ、「共同体」を強調する。

我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体からだのよみがへり、永遠とこしへの生命いのちを信ず。アーメン。

聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、
永遠のいのちを信じます。アーメン。

聖なる教会での信徒らとの交わり。私にはそれが出来なかった。

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園児を見守る大ケヤキ 横浜市南区 高野山真言宗・東光山蓮花院 私の百寺巡礼69

園児を見守る大ケヤキ 横浜市南区 高野山真言宗・東光山蓮花院 私の百寺巡礼69

横浜市南区、西区は高野山真言宗のお寺が多い。東医山薬王寺とこちらは、歩いてすぐの場所にある。赤門東福寺にも近いし、こちらの蓮華院を登り切った坂の頂上にも高野山真言宗のお寺がある。

この向こうに、お寺の付属幼稚園、れんげ幼稚園がある。
園児を見守る弘法大師様にお地蔵様たち。

境内のケヤキが見事であった。
ここまでの大きさになるには相当な年月がかかる、と住職とも話した。
つまり、私たち日本人は「科

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医と薬 横浜市南区 高野山真言宗・東医山薬王寺 私の百寺巡礼68

医と薬 横浜市南区 高野山真言宗・東医山薬王寺 私の百寺巡礼68

ホトカミの御朱印情報を基に、住所をGoogleマップで確認し、行くと、仕事場からの帰りによく自転車で通るお寺であった。
多分あまり気にしていなかったのだと思う。

こちらは、高野山真言宗のお寺なのだが、ここから徒歩圏には高野山真言宗のお寺がいくつもある。
南区、西区は真言宗のお寺が多いのは、弘明寺が横浜市最古の寺だからかな?と、住職にお聴きしたら、ここのお寺のすぐ近くにある「赤門」と呼ばれている東

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商店街の中に沢山のお地蔵様 横浜市伊勢佐木町 一六子育て地蔵尊 私の百寺巡礼67

商店街の中に沢山のお地蔵様 横浜市伊勢佐木町 一六子育て地蔵尊 私の百寺巡礼67

伊勢佐木町にはよく行くものの、まさかここに御朱印も頂ける場所があるとは思わなかった。
私が利用している横浜銀行の前にあるのだが、何かのお店だと思っていたのだ。

富山県出身の僧、奥田真眠師が明治三十七年、この地に横浜善光寺別院を創建し、その後十年程して境内にその功徳をもって子宝が授かり、丈夫にスクスクと育つようにと、現生利益の守り佛として、お地蔵様を安置したことに始まった。
ところが、大正十二年九

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