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#330 大阪城は最強の寺の跡地だった?

豊臣家の拠点となった大阪城。
難攻不落の城と言われた大阪城は、実は戦国最強とも言われた寺の跡地に建てられた城だった。

大阪城は、地理的に見ても利にかなった場所に建てられている。
大阪はかつては「大坂」と言われていたが、文字通り大きな坂があった。
現在では「上町台地」と呼ばれている地域である。

大阪平野に南北に突き出た台地の先端につくられたのが大阪城だ。
そのため、平野の真ん中にある城ながら、3方は台地を利用した高低差があり、かつては海だった周辺部は湿地帯となっていてひじょうに攻めづらい地形になっている。

秀吉が大坂城を築城する以前、この場所には浄土真宗の総本山である石山本願寺があった。

↑の当時を再現したCGを見ると、お寺というよりは「お城」に近いものだったことが分かる。

石山本願寺は、1570~1580年までの11年にわたり、織田信長の支配に抵抗して激しい戦いを繰り広げた。
この戦いは「石山合戦」と言われている。

信長軍に囲まれて経済封鎖を受けた際も、毛利輝元と結んで毛利水軍の活躍により信長軍に勝利するなど、本願寺は長年信長を悩ませる存在だった。

しかし、最終的には本願寺の降伏に近い形で和睦。
一向宗は石山本願寺を退去し、本拠を京都へと移した。

信長の死後、石山本願寺の跡地に秀吉が大阪城を築く。
秀吉が建てた大阪城は大阪の陣で徳川家康に攻められて焼失。

徳川幕府は大坂城を大規模に改築するものの、天守はつくられなかった。
現在大阪の象徴になっている大阪城の天守閣は、1932年につくられたもので、鉄筋コンクリートづくり。中にはエレベーターもあり、人気の観光地となっている。

最強の寺の面影はなく、現在は敷地内に「石山本願寺推定地」の石碑が残っているのみである。

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