#339 日本史最大の謎、「空白の150年」とは?
物語が佳境を迎えつつある「ONE PIECE」。
「空白の100年に何があったのか?」は作中最大の謎となっている。
実は、日本の歴史にも空白の時代が存在する。
3世紀後半から5世紀初頭にかけての約150年。
「空白の150年」や「空白の4世紀」とよばれる時代である。
日本に漢字が伝わる以前、日本のことは発掘調査か中国の文献によって知るしかない。
有名な魏志倭人伝には邪馬台国や卑弥呼のことが記述されている。
その後、『晋書』に邪馬台国の新女王の台与(とよ)が266年に中国に朝貢をした記録がみられる。
しかし、その後日本についての記述はなくなり、次に登場するのは5世紀初頭に『宋書』などに現れる「倭の五王」となる。
約150年の間、中国の歴史書から姿を消すのである。
空白の150年の直前、弥生時代だった日本はいくつものクニに分かれており、争いが絶えなかった。
邪馬台国の女王卑弥呼は魏に使者を送り、中国を後ろ盾とした。
空白の150年の間、日本では前方後円墳がつくられるようになり、その数は増していった。
そして、空白の150年が終わるころには、大和王権が確立し、全国の豪族を影響下に置いていた。
このことから、空白の150年の間に、日本列島では有力なクニどうしの争いが行われ、その勝者である大和王権が全国に影響を及ぼすようになったことが予想される。
しかし、大和王権が全国に勢力を拡大する過程はまったく明らかになっていない。
また、邪馬台国の位置や、邪馬台国が大和王権の前身なのかどうかも定かではない。
邪馬台国は実は「大和国」であり、それがそのまま大和王権に拡大したとする説と、邪馬台国の勢力が大和王権を築いた勢力に滅ぼされたという説がある。
いずれにせよ、これだけ技術が発達した現代においても、日本史の空白の150年のことは詳しくわかっていない。
ちなみに、2023年1月、空白の150年につくられたとされている奈良市の富雄丸山古墳で発掘調査が行われ、独特な形をした鏡と蛇行剣が見つかり話題を呼んだ。
空白の150年を解き明かす手掛かりになるのではないかと注目されている。
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