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ベイトソンの生きた世界観⑥        エピステモロジーの正気と狂気   

 前回の「ベイトソンの生きた世界観⑤」は、もう少し先まで書けばよかったと反省しています。ここからはその続き、第4章の最終部分です。

 最後に、1969年ハワイのイースト・ウエスト・センターにおける「第2回アジア・太平洋地域精神衛生学会」で、ベイトソンが地球環境の危機的状況をいち早くとらえ、それが決して対岸の火事ではなく、すべて私たち自身に直接つながるものであることにふれた口頭発表を紹介し、この章の締めくくりとしたい。ベイトソンはここではっきりと私たちの思考習慣の誤りを指摘し、世界観の転換の必要性を述べている。

 最後に訴えたいのは、事態が切迫しているということです。西洋世界の誤ったエピステモロジーから大きな破局が訪れようとしていることは、すでに多くの人の目に明らかになっています。殺虫剤の害、環境汚染、さらには死の灰、南極の氷冠が溶解……と、カタストロフィーは、さまざまな面から立ち現れてきました。とりわけ、地球的規模での飢饉が、近い将来の出来事としてはっきりと予見されてきています。個々の生命を救うことに注ぎ込まれた強迫観念的な努力がもたらした帰結であります。(中略)人類とその生態システムに、そこまでさし迫った巨大な脅威の源が、実はわれわれ自身の心の、半無意識的な層で抱えられている思考習慣の誤りにある——そう私は信じるものです。

ベイトソン「エピステモロジーの正気と狂気」『精神の生態学』下巻より

 ここまでが私の卒論の第4章です。

 この引用に出てくる「西洋世界の誤ったエピステモロジー」については、前提とする理解が必要なのですが卒論の中では説明できていません。現代のフランスの科学的認識論が「エピステモロジー」と呼ばれていますが、1969年にベイトソンが「エピステモロジーの誤り」について語り、私たちの無意識、半無意識、思考習慣の誤りに言及していることは驚くばかりです。
 私たちは自分自身の認識のしかたについて、実は何もわかっていません。ベイトソンが「誤り」と指摘するものがなんなのかを知ることが、いま私たちが抱える多くの問題に向かうための鍵となっています。
 レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を発表したのは1962年です。しかし、環境破壊への認識が広がったのは20世紀の終盤でした。それから20年以上経過しても、環境問題の有効な解決策が実行されているとは言いがたいと思います。

 ベイトソンが言っているように、「われわれ自身の心の、半無意識的な層で抱えられている思考習慣の誤り」に気づかなければ、私たちにはそれを「見ること」はできないのではないでしょうか。

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