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メンタルの病と、自身の劣等感。


ゴールデンウィークが苦手な人間が、ここにいます。わたしです。

テレビのニュースを見ても、ネットのタイムラインを見ても、ゴールデンウィークや連休中の時期というのは そこもかしこも陽気な雰囲気と賑やかさに溢れている。
自分はどうやら、その圧倒的な眩しさが苦手なようだ。

メンタルを病む以前は、それなりに楽しんでいたような気もするけど、自分がどんな風にGWや連休を過ごしていたのか、実はあまり、元気だったころの記憶というものを思い出すことができない。

Twitterのプロフィールには記載してあるのだけど、自分は、『鬱』『対人恐怖症』『視線恐怖』を患っている。
この精神疾患に至るまでには、これまでの自分の人生の歩みを話す必要がありそうだけれども、説明が長くなりそうなので ここでは割愛させて頂きます。

ゴールデンウィークや連休中には、姉夫婦が甥っ子たちを連れて帰省して来たり
従兄弟(従姉妹)たちが夫婦で実家に帰ってきたりと
久しぶりの顔合わせで家族や親戚たちが一同に集まるため、それなりに忙しかったりする。
どこの家庭でも そんなもんだろうか。


姉や従姉妹が、旦那さんたちと結婚する前。彼氏彼女の関係で、絶賛恋愛中だったころ。連れて、仲良く実家に帰省していた。
その頃のゴールデンウィークが、実はいちばん、自分にとっては キツい時期でもあった。

それぞれが実家に帰省すると、うちの家族も親戚たちも 一緒に皆で集まって過ごしていたこともあって、飲み会やバーベキューがその都度 夜通し開かれてました。
これは別にゴールデンウィークに限ったことではなくて、お盆とか、年末年始とか、連休があるたびに集まっていたと思います。
家族仲や親戚仲が良いほうだとは思う。

あの頃の姉と従姉妹、そしてそれぞれの彼氏(現旦那)さんとのイチャつきぶりといったら
端から見ているこっちが恥ずかしくなるくらいに、そのラブラブぶりを 毎回毎回見せつけられていた記憶があります( ̄~ ̄;)

勿論、うちの両親も、親戚のおじさんおばさんたちもそれぞれの良縁を喜んでいたから
それはまぁ、とてもめでたい事ではあるんだけども。
話しの中心といえば当然、姉や従姉妹たちの都会での生活や それぞれの彼氏さんの仕事や趣味や家族のこととか。
持て囃されるべき人たちを横目にしながら。
当たり前といえば当たり前なのだけど、

なんて言えばいいのかな……

なんて言うか、こう
人生が上手くいっている しあわせに包まれている人たち を端から見せつけられている
そんな苦しみというか、つらさというか……
そういう なんとも言えない、モヤモヤとしたあの感じ。
その気持ちが、僻みや妬みなのは分かってるつもり。

片や自分は、友達との予定も一切なければ、彼女といえる人もいない。
出掛ける用事もなければ、
この集まりを拒む理由さえ作れない…… 
ひまを持て余して参加しているだけ。
心中が虚しさや劣等感でいっぱいだった。。

メンタルの病気のことは全員に伏せていたので、鬱々としてつらい気持ちを どうにか人並みに上げていくために、無理して明るい・元気な自分を作ることで精一杯だった
そして、予定が来る何日も前から動悸が押し寄せてきて、落ち着かなかったり、手足や身体が震えたりもしていて。
対人恐怖や視線恐怖、特定の場面を避けようとする回避性障害の症状に 人知れず悩んだりもしていましたが、
家族や親戚の間柄ではあったし、バーベキューや酒飲みの場面でもあったから
その不調を無理矢理、お酒を飲んで誤魔化したりしていたこともあってか、なんとか不貞腐れることなく 過ごせていたのだと思います。
まがりなりにもお酒の席は好きなほうなので、それも少しはあるかな。

自分で周りの人たちとを比べて 勝手に劣等感を感じてしまうこともそうだし、
家族や親戚たちに、冴えない自分の生き方をそのたびに否定されたり、説教をされたりするたびに、お酒と一緒に、苦くて重い気持ちを胸の奥に流し込んでいた。

そんな肩身の狭いなかで、参加している自分の存在に、少しでも意味を持たせたくて
バーベキューや飲み会の後片付けは率先してこなしたりもしていたけれども。
だれのせいでもなく、自分自身がまわりと比べて、こんなに劣等感を感じてしまっている集まりに本当は、
「参加するべきではなかったのかも知れない……」 と
やりきれない気持ちに苛まれることも多々あったことを思い返します。
周りと比べて鬱屈とした自分は、この賑やかな場所に 相応しくないのではないか…… と。


都会で。仕事も恋愛も交遊関係も充実していて。しかもそれがちゃんと花開いている
その羨ましさといったら。
どんな風に努力すれば、どんな風に誠実に生きていたら、その幸福を手に入れられるのか……?。
そんなことを、理不尽に思ったりもしていました。
隣の芝生はどうしても青く見えがちだし、決してそんな楽しいことばかりではないんだと分かっているけど。
自分に自信がなくて、弱っているときほど
周りの人たちが、キラキラして見えてしまうものなんだと思う。
というか、実際、眩しく輝いて見えていた
姉や従姉妹や、その彼氏さんたちが。
自分がこれまで歩んできた暗い人生との対比を感じて、そのたびに、自身の存在を否定して 消えてしまいたくなったりもした。



家族や親戚との行事。
元気だった頃は好きだったけれど。
人生に躓いて転んで、立ち上がることもちゃんと出来なくなってからは、いつの頃からか苦手になってしまった。。
それでも、自分だけが参加しないのも何か違う気がするから。
それさえ無くしてしまったら、家族や親戚との思い出さえもない
何も無い自分になってしまうのが怖くて……。
例えば居心地の悪いような話題があったとしても、笑顔で話しを頷きながら聞いている自分のむなしさや悲しみも あったのだと思う。

家族や親戚たちとの集まりは、嬉しい反面、つらい気持ちも同様に半分。
自分にとっては、喜びと悲しみが入り交じった、複雑な思い出でもあります。



姉夫婦も結婚して、甥っ子たちも産まれてからは。数える程度には、一緒に家族旅行に行ったりもしました。
これは自分にとっても大切な家族の行事のひとつだと断言できるのだけれども。

それでも

どれだけ時間が過ぎても、メンタルの症状を克服するには一向に至らず……
誰かと一緒にお出かけすることも、いまの自分にとってはなかなか困難な出来事となってしまった

こと、対人恐怖や視線恐怖、回避性パーソナリティ障害という精神疾患は、程度の差さえあれ、外出困難に陥る『詰み』の病気だと、個人的には思っていて

普通の人が喜んで行くような観光地も、自分にとっては、" 地獄に赴く "ようなもの。
予定の何週間、何日間も前から動悸がしたり、不安が押し寄せてきたり、手足や身体が震え出して 自分自身を制御できなくなったり……
自分が壊れて使いものにならなくなってしまった事実を、その都度 自覚せざるを得ません。。

とにかく、人の視線や人混みが『無理』。
心と身体が拒絶反応を起こしてしまうので…
人混みや視線から、逃げ出してしまいたい不安に刈られてしまう。。
家族旅行に同行することは、一緒の時間を過ごして思い出を作れる喜びの反面、常に不安や恐怖に苛まれる苦しみとも同様だから… 
本当に苦しかったし… とてもしんどかった……

出掛け先で、行き交う大勢の人混みが本当に無理なときは、施設など近くの御手洗いにかけ込んで「先に行ってて」と家族に伝え、落ち着かない自分をなだめたり……
人の往来が少ない場所に行って、「少し休むね」と、隅に座って心を落ち着かせたり。。
家族や甥っ子たちの、「あそこに寄ってみたい」「ここへ行きたい!」などのイレギュラーな引率にも、なるべく平静を保ち動じないように……
不安が伝わってしまわないように。
配慮や気遣い、そして気疲れも 正直ありました。


人間不信に陥り、人の視線が怖くて
自分自身をも信じることが出来ず…
不安や恐怖に、常に苛まれる狂気と苦しみ……
だれかにこの苦しみやつらさを理解して貰いたいとも思うけれども、
これは、経験した者にしかわからない。
そんな苦しみなんだと思います


集まりが「嬉しい」と思える自分は何処に?
旅行や外出が「楽しい」と、
そんな風に純粋に思えることができていた
あの頃の自分は、一体どこへ消えてしまったんだろう
自分のことなのに、過去の自分は既に、同じ人物だとは到底思えません


家族がわるい訳では、決してない
ほかの誰のせいでもない。

責任があるとすれば、それは ちゃんと人生を生きることができなかった、
そういう生き方しか出来なかった
自分自身のせいなんだと思う。

でも、だからといって自分を責め続けることも、自らの首を絞めているようで苦しい。。


大切な人たちのために、自分が寄り添うのなら
自分が本当につらいとき・くるしいときに
誰かに寄り添って貰いたかった

キラキラと輝いている、眩しいまわりの人たちの人生を見ても
自分自身のさえない生き方を、みんなに否定されても
何事もないように微笑んでいるようでも、実はつらい……
泣きたくなるようなことだってあるから……。


それが分かってもらえてない
理解して貰えていないことが、とても かなしい



ゴールデンウィークも、お盆も、年末年始も、そして何気ない連休も。
誰かと一緒にお出掛けをすることも。

たぶんずっと。
自分は、無理をし過ぎてしまったのかも知れません。


少しずつ何かを失い続けるばかりで
何も手に入れることなど出来なかった自分には、心の寄りどころさえ危うい……

それでも、少しでも良い思い出を残したい
自分の人生に 生きる意味を持たせたくて。


それだけは、紛れもない本当の気持ちなんだと思います。


そして、家族や親戚、取り巻く周囲の人びとが自分にとって大切なものであることに、変わりはありません。



長々と愚痴をこぼしてしまって、読んでくださった方には申し訳なく思います

こうして気持ちを吐き出すことで、僅かに心の重荷を減らすことも、大切なことだなと思うのです。


連休は好きだけれども
心から、手放しで喜べるほど 元気にもなれない。それが、ここだけの本音です。









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