がんばって書いて読まれなくても、つまらないnoteはひとつもない
苦しい話をします。
noteをやっているとつくづく思うのは「かけた労力と、どれだけ読まれるかは比例しない」ということです。悪夢のような話です。
細部まで文章を考え抜き、いざ投稿したはいいものの、ぜんぜん読まれなくてしんどい。のちのち「やっぱりここはこうだな」と気になるところが次々に出てくること、ありませんか?
一度投稿したのに、「編集」ボタンを押して、気になる箇所をぽちぽち修正して「公開」するボタンを押す。数分後また読み返すとさっきとは別の箇所が気になって、また編集、公開を繰り返す。
このループに入ってしまうと、あきらかに過集中してしまって、どんどん時間が溶けていきます。そして、こまかな修正を加えてもべつにそんなにリアクションが変わるわけでもなく…
ぜんぶ自分の体験談なんですけどね。
「完璧」を探して、さまよい歩いているような。でも、完璧な文章なんてどこにもないし、全部幻想なんですよね。
数年後、自分が書いたnoteを見返すときがやってきたとして、いまと同じように「こういうふうに書いてもよかったな」と思うはずです。
その一方で、たまに10分くらいでダダダっと思ったことを書いただけのnoteがめちゃくちゃ読まれたりする。これもまた悪夢のような話です。
どれだけ時間をかけたかと、それが読まれるかどうか、そこに比例の関係はありません。苦しい話ですが、現実です。
だから「完璧」などなく、あるのは「完了」。ただ、書いて世の中に出す。それだけです。
って5年もnoteやってると、頭では分かっているんですよね。分かっているけど、やっぱり考えすぎてしまうんです。こういうとき、ひとりで「書き手」と「編集者」をやるのは大変だなと思いました。
そんなとき「公開前に読んでもらえますか?」「ちょっと感想だけもらえませんか?」そんなことを相談できる自分だけのパートナーがいたらといいなと。
そこで、自分が利用し始めたサービスがパーソナル編集者で、いまそのサービスを提供する立場にいます。
これ、あらためて、すごいサービスだなと。
ことしの春にパーソナル編集者をお願いするようになって、noteを書く上でのたのしさにも、モヤモヤする苦しさにも、ひとつひとつに真剣に向き合ってもらえる。とても安心したのを覚えています。
で、いまはサービスを提供する側として毎日たくさんのnoteを読ませてもらってるわけですが、すべての記事に書き手のあふれる愛や想いを感じます。
「いま、書いてみてどんな気持ちですか?」
「この部分、すごく〇〇さんらしさが出ていて好きです。」
そんなふうに、ぼくから伝えることがあります。
そうして、書き手の想いに触れると、「スキやPV数はその記事の価値とは直結しない」と思うのです。
「つまらないnoteなんて、ひとつもない」
日々、そう感じています。