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リンゴはどこまで腐ってもリンゴなのか?〜質と量〜

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 サイエンスに限らず、何かしらの分析を行う際に「定量化」という概念が必ず登場する。あなたはこの「定量化」についてしっかりと説明できるだろうか? それ以前にそもそも「量」とは何かについて説明できるだろうか?
 この記事では、「量」とはどのような概念なのか? について「質」と「数」という概念とともに説明する。

質とは何か?

 まず「質」について説明しよう。
 初めに、ここでいう質の意味は、「性質」「本質」という言葉で使われる場合の質である。「量より質だ」「質が落ちた」といったように日常的に"質"という言葉単体で使われる意味と少し違うので注意してほしい(注1、2)。

 リンゴを手にとって見てみよう。それは、いろいろな特徴をもっている。「赤い色」「手のひらサイズの大きさ」など。しかし、青みがかっていても、いびつでも、少し腐っていても、リンゴはリンゴだとみな言うだろう。
このようなリンゴのリンゴたるゆえんを、リンゴのという。この質によってリンゴは他のもの(例えばミカンなど)と区別される。
 すなわち、質というのは、「それを無くせばその事物ではなくなってしまうような特徴の集まり」のことをいう。ここで集まりと言ったのは、特徴は一つだけではないからだ。例えば、リンゴは赤いが、これだけではリンゴたりえない。甘いとか、丸いとか、拳くらいの大きさであるとか、複数の要素が集まって初めてリンゴとなる。

注1)日常的に使う意味とは異なった意味を持つ哲学や科学の言葉は他にもある。物理の力学でいう"仕事"もその一例だ。重いものを持ってその場に突っ立っているだけでは力学的な仕事は0だ。筆者は最初この仕事の定義が納得いかなかったが、そのような定義で力学が上手く理論としてまとまっているのである。日常用語に惑わされずに別の意味として理解するのがよい。

注2)日常的に使われる"質"は、数値化しにくい複数のパラメーターセットを指している(「"質"の良い練習」や「幸福な良"質"な人生」など)。一つ一つの意味は小さいが、それがまとまって1セットになったときに大きな意味を持つようなものに"質"という言葉が使われる。

量とは何か? 

 続いて「量」について説明しよう。
 「質に含まれるある特定の特徴に着目して大きさを表したもの」が量である。例えばリンゴであれば、重さに関する「300g」、大きさ(直径)に関する「10cm」が量にあたる。全ての事物は、質の量の2つの面をもっている(注3)。

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画像:リンゴの質と量のイメージ

 量というのは、事物の特定の特徴に着目したものであるので、私たちが量を認識するとき、事物の他の特徴に目をつむっている。例えば、リンゴの重さが300gの量であると言っているときには、リンゴの甘さや大きさについての特徴は捨て去られている。つまり、捨象すなわち抽象化が行われている。
 抽象化のうち、量を抽出する手続きを特に定量化と呼ぶ。

※ 抽象化については以下の記事を参照してほしい。

注3)私たちが世界を認識するとき、知覚に関する複数の特徴量の軸で事物を捉えている(色、大きさ、形……)。その高次元の特徴量の空間の中に、分布のかたまりがたくさん存在しており、その分布のかたまりに対して、私たちは"りんご"とか"犬"といった名前をつけている。
 すなわち、「特徴"量"の空間に存在する分布のかたまりが"質"に対応する」というイメージで捉えてもよいかもしれない。

物事を質と量の2つの変化で捉える

 ある質をもった事物は、その質に見合った一定限度の量の特徴をもっている。「腐っても鯛」という言葉のように、すこしぐらい腐っても(「量的変化」をしても)鯛は鯛だ。しかし、それは、鯛の質の範囲内での話である。ある一定の限度をこえて腐ってしまえば、それは肥料にしかならない他の物になってしまい(「質的変化」)、鯛としての質を失う。
 物事は、ある限度をこえた「量的変化」によって、その事物が別のものになってしまう「質的変化」が起こる。「氷が0℃で水になる」とか「薬品がある一定以上の量で人体に有害になる」などもこの例だ。

 ここで大切なのは、事物の変化を質と量の2つの変化で捉えることである。
 事物の変化を質的変化だけで捉えてしまうと、あらゆる変化は、なんの準備もなく突然変異のように起こるものとなってしまう。質的変化が起こる前に必ず準備過程としての量的変化がある。逆に、量的変化だけでは、質の違いを捉えることができない。例えば、鯛が腐っていく過程を、化学反応だけで捉えると、単に連続的な変化が起こっているだけになってしまう。無生物からの生物の発生や、生物の生と死という質的変化も同様に、化学反応という量的変化だけに着目していては認識できないものだ。
 また、量的変化を捉えることによって、質的変化を予見したり、制御したりできる(あるスポーツの技ができるようになるため、足りていない技術を集中的に鍛えて、技を身につける、など)こともできる。
 このように、事物の変化を質と量の2つの変化で捉えることで、世界の認識が深まり、行動の成果に結びつけることができる。

数と量について

 ここまで読んで、鋭い人は「数と量は何が違うんだろう?」と思ったのではないだろうか?

 数は、1つ2つと数えられるものを抽象化した概念である。「リンゴ2個」とか「犬が2匹」といったときの「2」が数である。数で表されるとき、質は捨てられる。リンゴや犬を「2」と数えたとき、さまざまな特徴は完全に切り捨てられ、単に2という数で表される。すなわち、数は質を捨象して抽象化された概念である。
 リンゴ4個といったとき、それぞれのリンゴの色や大きさなどは無視されて、どのリンゴも等しく「1個」と数えられている。

リンゴ4個

 量は、「300g」や「10cm」などが量であった。量は、直接数えることはできないが、基準となる量を定めれば、「基準量の何倍の大きさか」という観点で数で表すことができるものである。この基準量のことを単位量と呼ぶ。「長さ」であれば[m]が単位量の1つで、時間ならば[分]や[秒]がそうである。
 単位量を定めるものを「度量衡」と呼ぶ。度量衡は、いつどこで誰にとっても同じである必要がある。アフリカで計った1[g]が、カナダで計った1[g]より重い(質量が)ということがあってはならない(注4)。

注4)かつて1[kg]の基準は「水1[L]の質量」であった。これでも、日常生活で使う分には充分な度量衡であるが、水の体積は温度に依存する。そこで、現在ではプラチナとイリジウムから成る「国際キログラム原器」というものが作られ、それが重さにおける度量衡となっている。

 定量化についての記事は以下。

単位系に関する記事は以下。

参考文献

鯵坂真、梅林誠爾、有尾善繁(1987)『論理学―思考の法則と科学の方法』世界思想社
第4章「弁証法論理学」 7節「量的変化と質的変化」

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