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<戦時下の一品> 戦時宣伝と戦時標語の入った「しおり」
本を読んでいる途中に挟むしおり。戦時下、こんな小物も目を付けられた。普段手にしやすく、しかも目に入りやすいという点では、マッチラベルの標語以上の効果を上げただろう。
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上のしおりは、大阪毎日新聞社(現・毎日新聞社)が発行していた大毎小学生新聞の宣伝用か。発行時期は、日中戦争が勃発した1937(昭和12)年中か。日中戦争が始まると、各新聞社は競って戦意高揚の歌を募集。大阪毎日と東京日日(両者が合併して毎日新聞に)が募集した軍歌の当選1等が「進軍の歌」、2等が「露営の歌」でレコードにもなったが、2等の「露営の歌」が大人気となった。軍隊の絵と軍歌の宣伝は、高揚感を与えたに違いない。
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上写真は、東京の大森郵便局がつくった手のこんだもの。日中戦争の長期化で、戦費を生み出しインフレを防ぐ貯蓄が盛んに行われたころのものだろう。靖国神社という戦争の象徴と「貯蓄報国」の組み合わせが強力。また、戦前の祝日は軍隊や天皇にかかわるものばかりだったことも分かる。いくつかは名前を変えて現在にも復活している。
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上写真は長野県飯田市の書店がつくったしおりで、慰問袋つくりを奨めています。「戦地の兵隊さんを慰問しましょう」の呼び掛けに、積極的になった子どもたちもいたのではないだろうか。
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この書店は、時期に合わせていろいろなしおりを作っています。こちらは戦車、軍用機、そしてヒマの絵を入れ、潤滑油になるヒマの栽培を奨めています。時期的に、太平洋戦争が始まったころでしょう。まだ、カラーで印刷しリボンも付ける余裕がありました。
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上写真の爆弾型しおりは長野県赤穂町(現・駒ケ根市)の書店のもの。表に「長期建設」「堅忍持久」とあり、凝った印刷とリボン付きから、日中戦争中の1940年ごろに作られたものでしょう。裏面の「思考よりもまず暗記」「祖国の為に」などは1944年にこのしおりを手にした人が書き込んだとみられますが、教育成果と当時の教育の雰囲気が伝わります。
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最後に紹介するこちら、一応しおりに分類しましたが、ステッカーの可能性もあります。厚みとサイズから、現状ではしおりとしておきます。上写真は1944年度に長野県か長野市がつくったヒマ栽培目標を書き込むようにしたしおり。赤の単色で、紙は使わなかった領収書の再利用。まさに、銃後生活の物資が極限に達していることを伝えてくれます。
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時として、モノは大本営発表では伝わらない事実を、知らず知らず、庶民に伝えていったのではないでしょうか。これも、宣伝の表裏を示すものでしょう。戦時体制は、あらゆる手段で戦争への協力を求めてくること、実感していただければ幸いです。
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